宝町 「ぶーみん ヴィノム」に行ってきた  (2012.01.11)


昨日は、宝町の「ぶーみん ヴィノム」(http://www.yes-rose.com/BoominVinum.html)にて、退職の慰労会ということでFBつながりのとある方と食事をしてきた。「王様のブランチ」等で取り上げられたこともあって、週末の予約はほとんど無理という人気店でもある。色々と取り沙汰されてはいるが食べログでもスコアが3.69とかなり高いレベルにある店でもある。ただ、場所はいわゆる繁華街エリアからは少々離れた所にある。最寄駅は都営浅草線の宝町。

食べたものは多岐にわたるが、「世界の前菜盛り合わせ」、「豚もつのワイン煮込み半熟玉子添え」、塩バゲット、豚レバーの西京味噌漬け、豚の角煮等を頂く。ワインはカベルネソーヴィニヨンベースのアルゼンチンワインなどを二人で2本という飲んべコース。

まず褒めるべきは、一定のクオリティをきっちり維持しつつ(例えばハモンセラーノは36ヶ月のものを供している)、量がすばらしく多いということだ。また、前菜プレートに入っていたラタトゥイユは煮崩れすぎず、かといって野菜そのままの水っぽさもなく、おいしい。豚料理に関しては下処理がきちんとしてあるので、いたずらに脂による味のごまかしには走っていない点がよい。また、ソースは若干いずれも濃いめの味付けだが、バゲットが大変おいしいので、それでソースをすくって食べると酒が進む。

で、これだけ飲み食いして一人あたりの負担額は6千円くらい。はっきり言って安いです。スペアリブも含め、この店の名物メニューについてはまだ食べていないものも多々あるので、詳しい感想は再訪したときにでも再度書きたいと思う。

ちなみにこの店をチョイスしてくださった方からは、昨年末のフランス旅行の写真などを見せて頂いた。また、各種缶詰なども頂戴したので、今度早速食べようかと思う。話は尽きることなく、小生の旅行帰国後はまたあって色々と話しましょう、で11月にはみんなでフランスに行きたいねえ、という話もした。長期旅行はさすがに無理だが、実現したら面白い話ではあると思う。

人の縁というのは実に有り難いものだと思う。


「流行」マーケティングの終焉  (2012.01.06)


会社を実質的に辞めて数日が経った。自堕落な生活にならないように朝8時には起きて午前中はフィットネス、午後は楽器と勉強というスケジュールを自らに課して生活しているのだが、息抜きと情報収集を兼ねて昼間の衛星放送を見てみると、いやー、本当に韓国ドラマと通販番組ばっかり。ドラマは基本的に国内外を問わず見ない(次週まで待つのが面倒くさいし、時間稼ぎのためのシークエンスに時々腹が立つから)のだが、これじゃ昨年夏みたいにフジテレビ本社の周りでデモやられても仕方ねえよなあ……と思う。

無論、昨年夏の件のデモには民族差別の要素が含まれていたということは否定のしようがない。かの国は国是として実質的に反日を掲げ、また国内問題のガス抜きとして日本との歴史問題をカードにしている以上(つまり歴史問題が解決されると一番困るのは他ならぬ韓国の権力者である)、「日韓友好」などというのはただの絵空事か脳内お花畑の戯れ言に過ぎないし、世界中を見渡してみても隣国同士で仲がいいケースというのはほとんどお目にかかったことがないのだが、それがモメントとしても仮に昼間の時間帯に衛星放送で流されているのが例えば私の大好きなインドのマサラムービーならここまで話はこじれたりしないだろう。いいっすよ、マサラムービー。話の筋と全く関係なくゴージャスダンスシーンに突入するのなんてもう最高。

ただデモをした側の立場に立って考えてみると、平日昼間の帯にここまで韓国産ドラマが多く放送されていると、何のパワープレイだこりゃ? と首をかしげたくなるのもまた事実だ。つまり「ね?ね?流行ってるでしょ」という幻想の押しつけを通じてDVDとかその他諸々の派生商品を(低コストで仕入れて:ここ大事)売らんかなという目論見が透けて見えてしまうわけだ。私個人としてはマサラムービーなら喜んで買うけどね。

かつて、このようなマーケティング手法は実際有効だった時代があった。フジテレビはその手法に実に優れた集団のひとつだったように思う。特にバブル時代にはいわゆるトレンディドラマと呼ばれる番組群が流行を先導したことは当時洟垂れ小僧だった私でもよく覚えている。今では信じられないかもしれないが、ドラマで取り上げられたブランドや場所は流行の対象になったし、それを模倣するのが若者のデート作法だった時代が、かつては実際存在したのだ。また、タイアップに代表される手法はCDのセールスにおいてもミリオンを連発したし、いまだに当時の浮かれ気分と成功体験を捨て切れていない頭の固い関係者はおそらく枚挙にいとまがない。

だが、CDのタイアップモデルがアニメを除いて事実上崩壊した、そしてそのアニメにおいてもタイアップによる安易な抱き合わせCDマーケティングも例えば『ONE PIECE』で手厳しい批判が絶えない状況にあり、事実上瓦解の瀬戸際にあると言っていいだろう。このことからも分かるとおり、最早マスメディアがマスセールスのマーケティング手法として「流行」を生み出すことはきわめて困難な状況にある。

にもかかわらず、「流行を作り出すのは我々でござい」的な表情をして旧態依然古色蒼然としたマーケティングを番組編成のごり押しと共に展開することの時代錯誤に気づかないまま、従来型のビジネスモデルをメディアにおいて行うことに対する厚顔無恥が、見る側をいらだたせていることに、彼らは恐らく気がついていないのだ。

情報行動がマスメディア主導のプッシュ型から、ユーザー中心のプル型へとネットの定着に伴い推移するに従い、「流行」という現象は全社会的なものではなく、個々の趣味集団の内部できわめて短い周期で消費される現象になりつつある(従って、限定されたマニア向けの一部のコンテンツは、同工異曲の作品群を間断なく長期にわたって提供することによって、蕩尽を避ける戦略を採用している)。『家政婦のミタ』も、『輪るピングドラム』も、恐らく5年後には誰も覚えていないコンテンツになっているだろう。向田邦子のドラマ群や機動戦士ガンダムの作品群がいまだにリメイクされるのに、だ。従って、そのような状況を鑑みることなく、自らが無数のユーザーの情報行動を左右しうるのだという発想自体が思い上がりも甚だしく、既得権益にしがみつく者の醜悪さを露呈するだけだろう。番組表を見て苛立ちを覚えた層は、その内容の荒唐無稽さや出自もさることながら、マスメディアが所得も含めたきわめて特権的な階級にあるくせに、そのような無知蒙昧丸出しを恥じることなく露骨な低水準の商売に精を出していることを意識的・無意識的とを問わず、見抜いたのではないのか。

トロール漁法よろしく流行を仕掛けて総体としての大衆を籠絡する手法としての流行マーケティングは最早過去のものになった。人々は自らが欲したいものしか意識の対象としなくなった。良かれ悪しかれ、その状況を見誤ったものは、既得権益にすがるだけの敗残者として嘲笑と憎悪の対象になることは、認識されてしかるべきだろう。


そういえばパソコンを新調した  (2012.01.05)


忙しさの余り書き忘れておりましたが、昨年の10月にパソコンを新調しました。
元々調子の悪かった旧マシンですが、ついに10月のある日にハードディスクを巻き込んで死亡。別のマシンで調べたらこのハードディスクは物理障害を起こしておりました。当然FinalDataでも救出できないので、後日復旧サービスにデータ救済を依頼し、10万円ほどかかりました(涙)。バックアップはこまめに取りましょう。

で、新マシンのスペックです。
OS: Windows7 Professional 64bit
CPU: Core i7-2600K
CPUクーラー: Scythe 峰2
メモリ: SunMax製エルピーダメモリチップ採用 4GB*4
VGA: RadeonHD 5770 (Sapphire製、 前のマシンからの使い回し)
マザーボード: ASUS P8Z68-V Pro
電源: Enermax G700-MA
音源: Soundblaster X-Fi Platinum HD
SSD: Crucial M4 CT256M4SSD2 (ファームウェアアップデート済み)
HDD: WesternDigital Caviar Green 2.0TB 64MB SATA 6.0Gbps WD20EARX×3
光学ドライブ: Pioneer BDR-203を流用

前のAMD系マシンに比べるとeSATAの端子が少ないのが欠点ですが、USB3.0を備えているので、対応メモリーカードリーダを使うとデジカメ写真の吸い上げなどは速くて便利です。後はやはり起動ドライブをSSDにしたことで、今まで5分近くかかっていた起動が1分程度に短縮できました。
その他、今回のディスククラッシュで相当に懲りたので、ドキュメントファイルは全てRAID10のNASに移し、定期的なバックアップをスケジュールしました。メールデータはローカルですが、こちらも定期的なバックアップを行っています。

皆様、データは大事です。こまめなバックアップを忘れずに(涙)。


皆様、良いお年を  (2011.12.31)


あまりにも慌ただしく過ぎた一年も気がつけば大晦日。3.11が余りにも遠いことのように思えるほど、2011年という一年は過ぎていってしまった。小生がチュニジアから帰国して一ヶ月も経たないうちにベン・アリ政権が革命により崩壊したことから始まり、東日本大震災、そしてそれに伴う福島の核事故と放射能汚染、ユーロ圏での経済危機等々、偽るまでもなく頭を抱えたくなるようなひどい事件ばかりが起きた一年であった。世のニュース番組はそれでもお体裁を取り繕うべくサッカーの女子日本代表の世界一や小惑星探査機の帰還などを取り上げてはいるが、地震や津波に伴う2万人の死者と死の土地と化した福島第一核発電所付近の悲惨を前にすればそんなものは単なる些事でしかない。そして今年もおそらく3万人以上が自殺で命を絶っている。

大きな出来事に限らず、個人的な事柄に目を転じても、13年ぶりのオーケストラへの参加、そして転職もあり、一つ一つのことに落ち着いて思考を向ける暇もないほど心が静まらない一年であったように思う。自分が今何をしているのか、何をすべきなのか、もっと言えば自分がどこにいるのかも半ば分からないような状態で、おそらく典型的なミドルエイジクライシスも相俟ってなのだろうが、精神状態などもほぼ最悪の状態でこの一年は過ごしてきたように思う。まかり間違えばアルコール依存になりかけるような状況もあった。

しかし、仕事も先日付で事実上退職し、春からの新天地での再始動に向けて英気を養うに十分なだけの休暇を貰うことができた。また、この一年間、オーケストラのつながりを中心にして、色々な人たちの知遇を得ることができた。諸般の問題から転職を考えていたところにまさに渡りに船で私を引っ張り上げてくれた方がいたのはまさに僥倖というほかはない。そう考えれば、最悪という言葉が生易しく響くほど最悪なこのような状況にあっても、私には少なくともいいことがいくつかあったし、それは言うまでもなくこのような卑小な人間に愛想を尽かすことなく(本当は尽かしているのかもしれないが)その存在を記憶して頂いている多くの人に負っていることは明らかだろう。

だから、新しい年に当たっては、たとえ微力であっても、そうした人たちとの関わりをつないでいくためにも、動いていきたいと思う。一人で孤独の淵に沈むことは思索を深めていく上では絶対に欠かせないことだとしても、だ。なぜなら、絶望によって導かれた思考は希望によってのみ宥和と救済を獲得することができるからだ。そして希望をもたらすのは意志でも偶然でもなく、他者そのものに他ならない。

希望なき者のために希望は与えられている、というのはベンヤミンの有名な言葉だが、おそらく、この希望は、神なき我らの時代にあっては他者との間に芽吹く恩恵なのだろうと思う。それは意図せざるものであろうが、そうであるが故に尊いものでもあり、かつ儚いものでもあるのだろう。

だから、希望を持つということは、多分に他者との関わりを無条件の前提とするものなのだと思う。だからこそ、私自身いまだに精神状態は決して良いとは言えないのだが、これからは、絶望の只中にあっても、希望を見いだせるような人でありたい。

皆様、一年間ありがとうございました。そして、来る年が皆様にとって幸多き一年となりますように。


会社を辞めることにした  (2011.12.07)


MixiやFacebookの短信ではすでに触れていたのだが、会社を辞めることにした。
といっても一応転職先は確保しているので、残存有休の消化も含めたサバティカル休暇を取ってから、新しい職場に移ることになる。今度の職場は今私が禄を食んでいる業界とは全く違う畑。技術面での知識は相当な部分、新たに学ばねばならないことだろう。

そういう事情もあり、正直なところ私自身の年齢を考えると、キャリア形成をもう一度やらねばならないことにもなるこのような転職は明らかにリスクが大きい。では何故わざわざそんな暴挙とも言えるようなことをあえてするのか。

もちろんその理由の一つは待遇面であることは確かだ。新しい職場での待遇は、少なくとも賃金面では現状よりも大幅な上昇がある。これは一定のパフォーマンスを発揮できるようになるまでの暫定的措置なので、期待を超えるべくさらに努力を重ねなければならないのは致し方ないところだが、人はパンのみで生きるのではない。

今は色々と言うべきではないし、言ってはならない事柄もあるので、この段階では転職をするよ、という事実の報告でとどめておくべきだろう。ただ一つ、「おまえが消えて喜ぶ者におまえのオールを任せるな」という『宙船』からの引用を行うことでこの報告を締めくくりたい。


筆が進まんわけですよ  (2011.11.26)


9月気の下旬以来、「例のアレ」についての感想をしたためようと色々と思案しているのだが、うまく内容がまとまらない。理由の一つには夏以来仕事の方が主に環境面でウニャウニャなことになっている(具体的な話はFacebookやMixi等でごく少数のメンバー限定で公開しています)ことや、それに伴う精神面での不調もあるのだが、私という人間は文章を書くことで精神の平衡を保っているようなところもあるので、それなりに近い時期にある程度体裁をまとめて公開できればと考えている。

言うまでもなくネタとしては当然色々あり、それを内容としてきっちりまとめた場合膨大な分量になることが見えているため、ある程度の読みやすいサイズにまとめた場合は例によって非常に抽象的で晦渋な内容になってしまうことが予想される。そうはいっても元々私の文章はごく一部の限られた人以外には難解で場合によっては衒学的ですらあるらしいので、そのあたりはそもそも気にする必要はないのかもしれないが。

そういうこともあり、ネタの一つである合理性の問題について目下アイディアを整理している。非常に基本的な弁証法的言い方を採用するのならば、非合理に対立するものとしての合理性は、それ自体として自己目的化した場合、むしろ非合理に転落するということだ。つまり、謬見や迷信を克服するためのものではなく、それ自体を価値として理性がその対象となった時、理性はその段階ですでに狂気であるということだ。そして我々の理性あるいは合理性なる精神は、実は我々自身の野蛮を克服するものではなく、むしろそれをさらに盲目的に推し進める(それこそ「合理化」する)契機へと成り果ててしまう。だから、かようにも合理化あるいは合理的思考なるものが社会的諸力の基盤として見なされている現状は、それ自体として実はメタ的、弁証法的な意味で再度合理化されないといけない。にもかかわらず、このような理性による理性の自己批判ともいうべきプロセスに当たっては、実は別の審級が要求されることを我々は理解しなければいけないし、そしてこの問題について理解することはできても価値を認める人はそう多くない、ということは我々は認識してしかるべきだろう。なぜなら、そのような思考法は彼らにとってはまさしく「非合理的」なものだからである。

ではその契機、あるいは価値についいての認識を促すものとは何か。そんなあたりまで話が及んだところで今日はこの辺で。


新宿「でめ金」にて串揚を食う  (2011.11.21)


11/18は新宿の「でめ金」にて知人のフランス人カップルをもてなした。今までは初台の「シラノ・ド・ベルジュラック」とか新宿住友ビルのザ・ワインバー(人数が結構多かったので)といったフレンチ中心で攻めてみたのだが、今回は毛色を変えてみようということで、串揚げ屋を選んでみた。「おまかせ」で勝手に色々と出てくるというシステムを体験してもらうのも悪くないと思ったからだ。

会話に結構エネルギーを取られたこともあり、串揚げ自体は結構サクサクホクホクでおいしかったという印象くらいしか残念ながら残っていないのだが、特に彼氏の方は大変に酒に詳しく、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝がスコットランドに単身修行に出かけてそのノウハウ(と嫁さん)をあらかた取ってきてしまった――これはいわゆる「竹鶴ノート」として知られている――の話まで知っていてびっくり。確かにフランスではイギリスへの対抗意識もあるせいか日本のウイスキーが比較的人気があるのだが、彼自身が日本のウイスキーを手に入れられる店を滞在中に探していて結構難儀していたようだったので、後日竹鶴21年を送ってあげた。結構高かったが、今度パリに行った時にでもたっぷりお礼をしてもらおうと思う(笑)。

なお、彼らは後日大阪方面に旅行に行き、山崎蒸留所の見学とテイスティングを楽しんできたそうな。本当にウイスキー好きなんだなあと感心した次第。対抗上、私も時間を作って宮城峡蒸留所に見学に行く必要があるかもしれない。


そりゃそうだろう  (2011.09.03)


先日、NHKBSでアメリカに亡命したイラク人の部族長が13年ぶりにイラクの故郷に帰国したときの話をまとめたドキュメンタリーを見た。彼はナシリヤ近郊の村の部族長で、90年代半ばに反フセインの武装蜂起をしたときに仲間を大勢殺されるなどの迫害に遭い、結果としてアメリカに亡命したらしい。

で、イラク戦争が終結して彼は故郷に帰国したわけだが、当初彼の帰国は地元の人々から歓迎されたらしい。だが、国内の治安が悪化し、「アメリカ流の民主主義をイラクにも定着させたい」として彼が始めた新聞などのマスメディアはあらかた失敗、最終的には彼は父親と共にアメリカの亡命イラク人コミュニティーに戻ることになる。内容としてはそんな話だ。

番組自体は全体として彼に対して同情的なトーンで貫かれているが、私にしてみればそりゃ彼の事業は失敗して当たり前だろうと思う。対イラクの経済制裁が苛烈を極め、彼がいた村自体は反逆の烙印を押されてフセイン政権から弾圧されていたであろうことを考えれば、その最も厳しく困難な時代に(仲間が殺されるという悲劇はあったにせよ)アメリカに亡命して苦楽を共にせず、フセイン政権が倒れてから部族長面をして地元に戻り、爆撃であらかた破壊されたインフラの復旧に私財を優先的に擲つこともせず、アメリカ流の民主主義なる、大多数のイラク人にとっては単なるお題目あるいは唾棄すべきイデオロギーを理念よろしくまき散らそうというのは、食べ物も水も薬もまともにない時代を10年以上過ごしてきた人々にすれば、破廉恥以外の何物でもないだろう。

一度逃げ出してきた共同体に出戻るというのは、それほどの溝が既にできあがっているのだということを前提としなければならないのだということを、彼は忘れていたように思う。そしてそのある意味贖罪のためには、もう二度とそこから逃げ出す意図はないのだということを、そして地元の人間に対しては彼らの言語に絶する悲惨の経験に報いるだけの物心両面に渡る支援と、かつての立場では許されていたような優越的地位からの発言や行為を徹底的に否定する必要がある。それを長きにわたって繰り返してこそ、ようやく彼の亡命という行為は共同体から受け入れられるものになるのではないのか。どれだけ彼がマスメディアの確立に汗を流したところで、それ自体が生活の何の役にも立つものではないということを、彼はまず認識すべきであった。

似たようなケースは、恐らく自分にも、自分の周りの人にもあるかもしれない。まずはそこを戒めるところから、無論始めなければいけないし、それがこのドキュメンタリーに対する私なりのもう一つの解釈であった。


オーケストラへの参加と構造的対立とその他色々  (2011.08.31)


土曜日は参加しているオケの今回演奏会総括会と次期体制に向けての話し合い&飲み会。例によって例の如く痛飲してしまって「モード反転、裏コード ザ・ビースト!」(しかしこのネーミングはさすがにイタい)にまたしても突入したあげくボロボロになってしまいました。鯨飲するのはストレスの裏返しでしょうかねえ……。

さて、今回は初めて都内のアマオケに参加させて頂いている訳ですが、この経験を通じて正直驚いたのは、
・都内には文字通り掃いて捨てるほどのアマオケがある
・そして大半のアマオケで弦楽器奏者が足りない
・結果として「アマチュアエキストラ」という、チケットノルマを負担しないよく分からない賛助団員が結構いる
ということでした。私が某都内の学生オケにいたときには、弦楽器奏者は一部のパートを除いて基本的に余りまくっていて、私のいたパートでは「嫌ならいつでも辞めちまえ」的な言葉が罷り通っておりました。まー、結果として色々思うところあって私はその言葉を額面通り受け取って2年の終わりでとっとと退団して地元の市民オケに参加していたのですが、その市民オケでも弦楽器奏者は慢性的な不足ではあるけれどもプロ(≒音大卒)のエキストラを補うなりして演奏会に臨んでおり、アマチュアエキストラという存在はついぞ知る事がありませんでした。

で、問題はこのアマチュアエキストラという存在です。端から見れば確かに演奏会とか練習に何の金銭的負担もなく参加する彼らは、決して気分のいいものではないことは確かです。しかも場合によっては自らの立場を越権して団の運営に口を挟んでくる人もいると聞きます。真面目にそのオケに参加している人にとってはいい加減にせいや、と思うことには十分理由があります。

しかしその一方、これだけアマオケが陸続と生まれ続けていることの背景には、管楽器のいわゆる「シート争い」の問題があります。管楽器奏者はそのキャリアの履歴としてはオケの他にブラバンから流入してくるケースも数多くあり、フルートやクラリネットなどはプレーヤーの数に事欠きません。にもかかわらず、一曲で彼らに対して割り当てられるシートの数は多い場合でも1パート当たり4席程度。標準的な構成でも14人程度、超大編成の曲では1パート当たり30人くらいのシートがある弦楽器と比べると、圧倒的に過当競争の世界な訳です。しかも学生オケと違って、一般的な市民オケというのはメンバーの入れ替わりがあまり起きません。一度固定メンバーが形成されてしまうと、特に管楽器は参加の余地がなくなってしまうのです。いわゆる「締め切り」というやつです。

結果、演奏の場を求めるも現在参加している団体では望み薄となると、新団体を設立して自分達のシートを確保してしまおうという動きが出てきます。これがアマオケ大量発生の構造的理由の一つです。

それを一部の弦楽器奏者の人たちは、「管のエゴ」と捉えることがあるようです。即ち、「管のエゴでオケ立ち上げてんだから、こっちは付き合ってやってるんだ」という論法です。特に弦楽器のアマチュアエキストラの人々は、こういう構図があることを見通した上で、組織運営において生じる各種の義務を回避しつつ、自分が好む音楽活動のみを楽しむ、という構図になります。そしてこうなってしまうと、弦と管の間のモチベーションの違いというのは修復しがたいものになり、場合によってはそれが感情的な対立を生むことにもなります。

特にその辺りの問題は、団員の募集の問題もあり、新しく立ち上げた団体では顕著になる恐れが高いわけですが、相互が自己中心的な態度でいる限りこの種の問題は解消しようがなく、オーケストラとは何かというより高い水準からの認識の議論がなければ、最終的には財政的な面も含む現実的なトラブルによりその運営は破綻することになると私は考えます。実際、今回私が参加したオケではその種の詰めの甘さに起因する財政的トラブルが最後の最後までこじれており、諸々の緊急回避的な策を講じることでようやく事なきを得た、という経緯があることはこの文章を読んでおられる方なら何人かはご存じのことでしょう。

私自身は、指揮者の先生からご指名を受けるほどリズム感覚も音程もボロボロなヴァイオリン弾きの一人ですが、確かにいわゆるアマチュアエキストラの人々が唱える主張も理解できないではありませんし、管の人々の音楽に対する痛烈な参加意思というのも理解できます。私自身、かつて大学オケにいたとき、私のパート(2ndVn)は下級生はほとんど全曲降り番で、しかもそのくせに演奏会ごとに1.5万円程度のチケットノルマがあったという苦々しい記憶があるからです。ハタから見ればこんなバカバカしい話はありません。

ですが、オーケストラとは何かを考えたとき、それは一つの組織であり、大げさにいえば共同体であると私は考えます。そこに構成員として参加するのであれば、程度の差はあれ各員は何らかの責任を担うべきだし、それは単に演奏のことだけではあり得ません。組織というものが現実の集団である以上、そこには煩瑣な諸々の手続きやお金の動き、そしてそれらを皆に納得させるための説明責任が付きまといます。それらをつまるところ自分が楽しく演奏したいからという表層的な動機で全て拒絶するのは、自分がマイノリティだからといって無条件な保護を求めるような、ある種の利権集団と基本的には変わるところがないように私には思えます。アーレントが古代ローマの社会の分析において示したように、組織集団において何らかの権利を持ちたいのであれば、それは責任を担うことと同義な筈です。そして自分だけが義務なき権利だけを欲するのであれば、それは即ち「子供である」=「話してはならない」といわれても仕方ないのではないでしょうか。

音楽とは素晴らしいものだと私は思います。そしてそれをみんなで作っていくことの喜びは、何物にも代え難いと言えます。だからこそ、負うべき責任=応答性を引き受けず、あちこちをフラフラと好きにやるだけの人については、私は自分の社会的未熟を棚に上げつつも極めて強い不信と悲しみを抱かずにはいられないのです。


「ぴあ」とラジオ会館の終わり  (2011.07.23)


この前の木曜日、雑誌「ぴあ」の最終号が発売された。駅の書籍売店では店員が最終号発売との宣伝を行っていた。私もその例に漏れず、恐らく3年ぶりぐらいに、同誌を購入した。

思い起こせば、「ぴあ」は私の青春時代には欠かすことのできない雑誌だったように思う。生意気盛りの中学〜高校時代、同誌を学校の近所か通学路の乗換駅の書店で購入しては電車の中でページをめくり、展覧会や映画の情報を探して読みふけったものだった。広告宣伝による紹介順位の恣意的な操作がなかった同誌の情報は、マイナーなものにも当時の私の感性を強く刺激し、かつ育ててくれるものがあるのだということを教えてくれた。私の現代美術好きの傾向は恐らく同誌の記事に因るところが大きい。また映画にしても、デレク・ジャーマンの『Blue』とかアルゴ・プロジェクトのいくつかの優れた映画、そして「コトバ派」といわれる服部祐民子や橘いずみや片桐麻美などの音楽、あるいは大学生になってからはアーゴやECMなどから発売されているポストモダン派の現代音楽に触れる機会を持つことができたのも、この雑誌のお陰だったように思う。当時の私は、多分にミーハーな側面があったことは認めなければならないし、今でもそういう傾向があるのは明らかだろうが、この雑誌にフラットなスタイル、つまりメジャーなものもマイナーなものも等し並みに扱うという都会的な混沌ゆえに掲載されており発見することができた、一般の文化産業のコンテクストからは排除されてしまうような、ある種の性格を帯びた何ものかに惹かれ、それらに育てられて来たように思う。

また単なる偶然ではあるだろうが、今月の上旬に、秋葉原駅前のラジオ会館が実質的に閉館した。「ぴあ」を片手に文化を気取る生意気なガキになっていた時期に先立つ数年前、パソコンがまだマニアの玩具としての「マイコン」と呼ばれていた時代、私は暇を見つけては秋葉原のラジオ会館に足を運ぶ、いわゆる「マイコン少年」だった。最初に手にしたパソコン(PC-6001MK2)も、同ビルの中で店を開いていた父の知人から購入したものだったし、同ビルの中にあった真光無線(今は電気街で無線パーツを売る店に戻っているようだ)で時折小遣いを貯めてはゲームソフトを購入してもいた。そしてなによりも大事なのは、このビルの最上階にはNECのショールームであったBit-innがあったことだった。同スペースで展示されていた新製品の数々は、搭載メモリは多くて1.6MB程度だし、CPUも16bitで10MHz程度、HDD容量は搭載モデルでも40MBがせいぜいであり、今から見れば携帯電話のスペックよりも低いような代物だが、それでもハードウェアやプログラミング言語の構造はいずれも当時の私でも理解できたし、ゆえにハードウェアの進化には時代が未来に向かっていく様子を体感させてくれるかのようなドライブ感と興奮が常に伴っていた。秋葉原のBit-innはそうした時代におけるマニアたちのための聖地であり、一種のアリーナのような存在だったのだ。時代は移り、海洋堂とかのフィギュア屋がテナントの大半を占めるようになってからも、秋葉原の駅前にそびえるこのビルの存在は、この街がその存在理由として混沌というものが孕む熱気を今だに有しているのだということをその前を通りがかる度に私に思い起こさせてくれていた。だが、そのビルもまもなく姿を消す。

昔を懐かしむのは賢明なことではないし、過ぎ去っていったものを嘆いたところで何かが変わるわけではない。全ては時と共に移り変わるものなのだし、その速度こそが都市のエネルギーであり、生命力なのだということは分かっているつもりだ。だが、あの時代に私の世界観を形成するのに少なくない役割を果たした、フラットな情報の洪水、趣味志向の外部から認識を襲う存在に身をさらすことによってこそ味わうことができるあの知的興奮を生むであろう都市の文化的混沌というものが、ソフィスケートされた「レコメンドエンジン」であったり、「プッシュ型情報行動」であったり、あるいは自称「能動的」ではあるけれども実質的には好きなものしか選択しないという情報行動に代替されていくのだとしたら、それはこの平坦な戦場が、生き延びていくのにすら値しないような、魅力のないモノトーンなものに落ち込んでいくのではないかという印象を私は抱かずにはいられない。換言すれば、期待も喜びも、そして惑乱も衝撃もない、官能すら忘れてしまった、美しい情報の場に、この都市空間はこれから入ろうとしているのかも、しれない。


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