2008年12月
今リヨン  (2008.12.26)


今日からリヨン。
売り上げ予定を知らせろという(しかも今日で仕事納めのはず)クソ上司からのメールに軽く切れつつ旅は続く。

しっかしこのホテルネットアクセス環境ボロボロだなあ……


ビュット・ショーモン公園で憩う  (2008.12.23)


現在宿泊しているホテルはパリの下町・19区のビュット・ショーモン公園に近い。なんでまたそんな治安激悪なところにわざわざ泊まっているのかと言えばそれは勿論私がかつて住んでいたフランドル通りにほど近いからに他ならない(だから当初はクリメ駅至近のHotel de Crimeeを考えていたのだがネット接続環境がボロボロなのであきらめた)。事実空港からの道すがら眺めた景色はあまりに懐かしく、それでいて変化を続ける街並みには流れ去った時間を思う起こさずにはいられない。かつて世話になったいくつかの店は既に潰れ、あるいは規模をかなり縮小して瀕死の体で営業を続けている。その一方で全く知らぬ店が多くの客を集め、人々の流れも変わっている。何事も変わらないものなどないというのは当たり前なのだけれど、比較的変化の少ないこの街でもそうした移り変わりが現実に起きているのを目にすると、過ぎ去った日々が既に過去のものとなっているのだということを実感せずにはいられない。

今日、私はかつてと同じように買い物袋をぶら下げてかつてのフランドル通りを歩いたのだが、もちろん帰るところはかつてと違い、少しばかりバスに乗って移動しなければならない。そして懐かしくもいとおしく、そして限りなく遠いフランドル通りを離れるために60号線のバスのステップに足をかけたとき、私はかつての自分がその通りから嘲笑うように眺めているその視線をかすかに感じた。そう、私は流されることなく生きているだろうか、あるいは流されていることを受け止めつつ苦しんでいるか、と。

帰り道、かつて散歩によく出かけたビュット・ショーモン公園で写真を撮った。幸い今日はよく晴れた日で、夕刻の光の加減が非常に印象的だった。

ホテルに戻る道すがら、ふと意識があらぬ方向に向かうのを感じる。私は誰か、ここにいるのは誰か、そんな当たり前のことが不明になり、実はこうなることを自分はずいぶん前から予見していたのではないかという疑義が頭をよぎるのだ。


疲れがとれない   (2008.12.21)


どうもこんにちは。異国の空よりお届けします。

通常に比べると疲労はかなり少ないはずなのですが、翌日になってみるとここ一週間の疲れがまとめて襲ってきたらしく、体が思うように動きません。そりゃ朝6時前に起きてに起きて10時過ぎに帰宅する生活を三日間続けるのはこのヘタレな体にはきついよなあ……

今いるホテルは自炊可能なところなので、昨日何とか近所のスーパーで買ってきたパンで朝食にしてあちこち行動しましたが、疲れが激しく、オランジュリーに行っただけで撤退。一応東駅でリヨンなどへの移動切符の手配をしてきましたが、相変わらずSNCFの窓口の作業効率がグダグダなため、30分くらい立って並んでました。昔は別のところに窓口というかサービスカウンターがこっそりあってそこではほとんど待たずに切符が買えたのですが、TGV東線の開通に伴いそれも廃止されたようです。

とりあえずの生存報告を兼ねて写真もあげました。東駅地下鉄コンコースです。


会社忘年会  (2008.12.19)

今日は会社の忘年会。
関西方面からの出張から帰ってきて少し遅れて出席。

忘年会では福引き。ちなみに今までの成績。

@入社した年(3年前)は何も当たらず。

A一昨年はビンゴが揃ったのは一番乗りでしたが、業務命令でダイエット器具を引き替え。Nintendo DSを逃しました。残念。

B去年は一等のCyber-shot DSC-W80(ソニーのデジカメ)が当たり、1万5千円で同僚に売り飛ばしてしまいました。

で、今年も当てましたよ、一等。
賞品はエプソンのColorio me E-530(http://www.epson.jp/products/colorio/printer_me/e530/index.htm)。

一等の当選が左大臣だと発表されたとき、圧倒的なブーイングが起き、笑ってしまいました。2年連続だもんなあ。

なお、今回もらった物は売らず、パーティ(≒飲み会)とかの席に持参してその場プリントを楽しむ用途で使いたいと思います。

そんなわけで、明日から旅行、楽しんできたいと思います。


また飲んでますと左大臣は言った  (2008.12.16)


月曜の夜は都内某所にて飲み会。

安いスペインバルでの飲み会だったが、かなり激しく飲んでヨレヨレ。
で、色々飲んできくうちに相手はアメリカの大学出身とかで、国内では「新卒のみ」の厚い壁に阻まれて色々大変だった等の話を聞く。で、もう一人は住まいが本埜村(実は左大臣の家から車で飛ばせば50分ほどの近所)なので、今度は千葉県で個人的に飲もうとバカ丸出しのへべれけトークと相成りました。

いや、飲み会に参加したのは男ばっかです。某社の某氏が翻訳会社の営業窓口としてはいかにダメダメかという点について、かなり合意を見たりしてしまったので、もう仕事はアサインできないよね〜、みたいな残酷な話も。いずれにしても酒の席での単なる与太話なので全然真面目に考察する価値無いことですが。

途中、この席に左大臣を招いてくださった某氏から色々と昔の話を聞く。営業一筋の人らしく営業トークのまさしく営業トークっぷりは猛烈で時折苦笑を禁じ得ない内容だったが、社外からお金を引っ張ってくることの大変さを痛感している人ならではの苦労が随所に現れているのは確かに感じ取れたりもしたので、人生って楽じゃないよね、と翌日二日酔いの頭を抱えながら思った次第です。


里帰り  (2008.12.15)


光学通りにて。
D300、心なしか嬉しそうだ。


そしてまた飲む  (2008.12.13)


金曜日は出張からとんぼ返りしてCEATECでお世話になった人たちとの忘年会。
少し遅れて着いたときには食べ物がほとんどなくなっていてちょっと辛かった。
講演原稿にガシガシダメ出しをしてくれたC氏は「これで業務経歴書は立派になったから転職も大丈夫」とか足下を見透かすことをニコニコしながらズバリ言っていた。あれ、バレた?

土曜日はいつものフランス語の講座の後で出席者で飲み会。
師匠も入れて合計10人に対してワイン5本。フランス語の勉強会に来るような人は基本的に飲んべが多い(師匠含む)ので、みんなガンガン飲んでた。比較的若い世代に属し野郎の小生は給仕役に回る。
まずは軽めのBeaujolais-Villageから飲み始め、最後は左大臣が持参したChateau Les Minauderies(1998)。値段も手頃な自然派ワインでお勧めです。
その他、Y先生が差し入れしてくださったケーキとか、めいめいが持ち寄ったチーズやらフォアグラやらお菓子やら結構ムチャクチャな食い物状態だったが、年末の予定やらE氏が新築した家の話やらいろんな事で盛り上がる。

今度の月曜は取引先との飲み会で、金曜日は会社の忘年会。その間に多分同僚との個人的忘年会が入る予定で、飲みペースに気をつけないとまずいかもです。


月撮ったよ  (2008.12.12)


以下、撮影データ。
使用カメラ:D300
露出時間 : 1/80秒
レンズF値 : F16.0
露出制御モード : 絞り優先AE
ISO感度 : 200
露光補正量 : EV-5.0
レンズの焦点距離(35mm) : 300(mm)
使用レンズ:AF-S DX VR Zoom-Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G(IF)
Photoshop CS3にてアンシャープマスクをかなり強めに適用してます。


ちょっと待てオイ  (2008.12.10)


話せたらカッコイイと思う外国語、1位「英語」、2位「仏語」(アイシェア調べ)

アイゴー、ナカムリャコフ殿、チェコ語は入っていなかったようだ。小生が話者になりたいプロヴァンス語も入っていなかったので残念だ。

左大臣の通っていた中高一貫の某男子校のフランス語選択者は、高校卒業するころには少なくとも上位クラスの人間は徹底した反復訓練のおかげでフランス語くらいは大体問題なく話せるようになっていたので、たとえバリバリのメードインジャパン(潰れたメイド喫茶ではない)でもそれなりの教育を受けていれば外国語のひとつくらい話せないのはタワケだという非常に歪んだ価値観を私個人は持っているのだが、30代でも「日常会話ができる」のが6.8%というのは多いと見るべきなのか少ないと見るべきなのか。まあ、10%を割り込んでるんで少ないんだろうなあ……。そのおかげでメシを食えている側面もあるので、一概にどうとは言えないけどね……

それで、このサマリーをツラツラ読んでいくと、「話せるとカッコイイと思う言語」という何だか微妙にステキなQの選択肢に「ラテン語」とかあるんですけど、これって古典ラテン語のことですか? 大学で古典語(古代ギリシア語含)を習ったK先生は「俺の母語はラテン語だ」とか豪語してましたが、ヴァチカンを除くと実質的には死語じゃないのかなあ……。そりゃ大昔はパラサイトイブとかファイナルファンタジーとかエースコンバットとかスマブラXとかエルフェンリートとか某BLゲームとかにはラテン語の歌が出てきてるんで、この手のアンケートに答えるパネルの傾向を考えると、そういう人が若干混じっててもおかしくはないですが。


そいでもってまたしても酒を飲む  (2008.12.08)


土曜日はフランス語の講座にいつものごとく出た。その前の週は家で仕事をしていたのでやむを得ず休んだのだが、「大酒くらって倒れてるんだよ」とか師匠に言われていたらしい……まあ、その師匠も結構な大酒飲みなので別に悪い気はしないが……ヒドイ(涙)

で、近所に引っ越してきたプルースティエンのM氏と帰りにまた飲む。ビールにマッコリに……と飲む。ワインはないんだってさー。

で、来週の土曜日はフランス語の講座の後、みんなでお酒を持ち寄って忘年会。講座自体はその翌週の20日まであるのだが、左大臣がその日には既に機上の人になっているため、一週間前倒してくれることに。駅で師匠は「tout le monde vous(=私)aime!」とか言ってましたが、それは冗談としてもみんなでお酒を飲むのは楽しいですよハイ。

口をふとついて出るのはこんな替え歌、かな。
Tra voi, tra voi saprò dividere
il tempo mio giocondo;
tutto è follia, follia nel mondo,
ciò che non è piacer!
Godiam, fugace e rapido
è il gaudio della vita,
è un fior che nasce e muore,
nè più si può goder!

手持ちの酒ではイチジクの蒸留酒(http://mandp.hub-net.co.jp/produit_tunisien/tun_prod_vin_boukha.html)が未開封で余っているので持って行こうかとも思ったが、さすがに10人弱であってもアルコール度数40度の酒を空にするのは厳しいので、どうしようかな……


ガラにもなく人生相談の本を買う  (2008.12.07)


ホームレスの方々が販売員として路上で売っている雑誌「The Big Issue」(http://www.bigissue.jp/)をほぼ定期的に買っていると大昔の日記で書いた事があったと思うが、この前買った2008年12月01日号(108号)に掲載されていた「枝元なほみのスローシンプルフード」(第45回)の最後にこんな文章があった。長いが引用する。
手に掲げる薄い雑誌を媒介に、言葉を掛け合って挨拶をし、人とつながることができるのだった。「寒いですね、お元気ですか」をお互いに言えるようになる、それは希望なんだと思った。
これを書いている2008年11月半ばの今、政府はみんなにお金をくれると言っている。お金を使ってほしくて、使ってしまえば何も残らないお金をくれると言っている。(中略)人がお金を使うだけの存在だと思っている人たちに、明日の希望を託すことはできない、と思うのだ。人とつながって分け合って初めて、生きていくための希望が、遠くにかすかにでも見えるのじゃないか、そう思う。
素晴らしい文章だな、と思う。
もちろん人間はこの社会に生きている限り、経済的要素なくしては生きていけない。けれども、我々、少なくとも私個人がこの命を生きるに値すると感じることができるとすれば、それは他者との連帯がその基底をなすものであると思うのだ。
そういう意味で、私が暮らしているこの社会は、余りにも人間同士の連帯が希薄だ。見知らぬ人間同士が、他者を志向する何らかの理念を紐帯として関わりを持ち、利益的関係をある程度無視しても人間は行動しうるのだという事実に対する経験が、この社会では余りにも蔑ろにされている。結果、実は極めて政治経済的動機を含む恋愛ばかりが理想化されて礼賛される。でも、見知らぬ誰かのために行動し、その行動によって実は自分が生かされているのだということを経験することの方が、結構年を食ってしまった今の自分には価値のある行為に思えるのだ。
そんなわけで、金曜日はビッグイシューから発売された「世界一あたたかい人生相談」(1400円、うち700円が販売者の収入となる)を購入した。販売者による人生相談と枝元なほみ氏のレシピがセットになっているという不思議な体裁の本だが、脱線含みのユーモラスな人生相談と、徒に技巧を弄ぶわけではないレシピが妙なハーモニーを生み出していて面白い。
基本的にビッグイシューの仕入れコストは販売者の負担になるため、「世界一あたたかい人生相談」を仕入れるとなるとホームレスである彼らにもかなり大きな経済的リスクが生じることになる。だから、この文章を読んで「世界一あたたかい人生相談」に関心を持った方がいるのであれば、近所の販売者にまず注文し、翌日あたりにまた買いに来るというステップを踏んで欲しい(書店扱いは2月)。

余談ではあるが、雑誌「ビッグイシュー」の支援会員にはかのゲイムマン氏(http://www.tv-game.com/)も名を連ねている。ブログで「37歳にして生活の見通しが立ってない」とぼやいている氏だが、同誌で氏の名前を見かけるたび、レトロゲームに実際にのめり込んだ世代としてのつながりを感じずにはいられない。


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