2006年01月
銀色のライカ  (2006.01.31)

年末にフィルムスキャナを購入した事は12月の日記に書いた。

実際のところフィルムスキャナなどというものは銀塩カメラ好きのハイアマチュアの道楽機材そのものなのだが、先日ニュージーランドに旅行した上司が現地で撮影したポジフィルムをスキャンしてくれと言うので、昼飯一回で引き受ける事と相成った。納品物は16bit-TIFFとバッチ処理で変換しただけのJPEGデータ。彼の使用機材はLeica M5+Elmarit-M 28/2.8+プロビア100Fというカメラマニアお約束の組み合わせの1つ。

スキャンしてみて、その仕上がりに驚いた。

画像の解像感が極めて高いからではない。使用フィルムがベルビアではないのだから、色が鮮やかだからでもない。知覚のもう一段向こうにある何かを励起させる何かが、その画像には明らかに宿っているのだ。

同サイズの画像をディスプレイ上で比較した場合、銀塩カメラで撮影したポジフィルム(をスキャンしたTIFF)の画像は私のD70+標準レンズで撮影したRAWデータよりも遙かに情報量は乏しいし、被写体のエッジはヨレヨレである。色彩も被写体のそれを的確に表現しているとは言い難いケースは多い。少なくとも、名の知れた機材を使って撮影したところで、撮影画像の物理的な完成度と情報量という点では、明らかに従来の銀塩カメラは昨今のデジタル一眼レフカメラ等に劣る。これは否定のしようがないように思う。にもかかわらず、かの機材で撮影された画像がディスプレイ上ですら私の情感を動かすのはなぜだろう。

つるつるの地面ではどこにも進む事が出来ないと書いたのは確かヴィトゲンシュタインだったと思うが、分かり切った理由をここで述べるのは面白味のある事ではないし、意味のある事ですらない。けれども、もし現状のテクノロジーが端的な情報量を直線的に増加させる事にひたすら突き進んでいくとしたら、私は何を手がかりにしてそれらを愛すればいいのだろうか。

何気なく撮られた誰かの写真やメモ書きに類する日記が妙に感興をそそるものであるのは、多分そのためだろう。それらは別段何かを説明しようとしているわけではない。ただ単に、そこにかつてあったという記憶を仮留めしておく為に、記憶の中の付箋のように挟みこまれているに過ぎない。その極めて主観的な不完全さを私は愛するのだ。それらをかいま見る事で、別の人生がそこには存在したのだということ、別の主観がそこには確かに存在したのだということで、そして別の日常がそこには存在したという事によって、幾ばくかの安堵と、眩暈に似た不安を感じる事ができるからだ。


たいくつー  (2006.01.29)

『エセー』三巻目。素朴派全開の護教論のオンパレードで少々飽きてきた。
あと100ページくらいで終わりなのだが少々辛い。
気晴らしに軽い小説でも読んでワンクッション置くべきか。


あれあれぱー  (2006.01.28)

先日、レンタルビデオ屋から『ヒトラー 最後の12日間』を借りてきて観た。パッケージを買わなかったのは要らぬおまけばかりが入ったスペシャルエディションしか現状では売られていなかった為だ。

話の中での白眉はやはりゲッベルス夫人とエヴァ・ブラウンのぶっ壊れぶりだ。単に頭がおかしいというのではなくて、理性や悟性をとりあえず維持したまま思考そのものものが一線をあっさり越えてしまっているのが何とも凄絶だった。あの目で見つめられて微笑まれたら恐怖の余り失禁してしまいそうな目だ。いや、本当。
映画の完成度そのものはソ連軍がベルリンで行った蛮行や追いつめられたSSが乱発していた無茶苦茶裁判やゲーリングのヤク中ぶりの話も殆ど出てこないし、ヒトラーその人の崩壊する内面世界の描写を等閑視していることや、作品その締めくくりが甘甘であることから問題てんこ盛りではある(ユンゲの著書自体がその辺りいい加減なので仕方ないと言えば仕方ない)のだが、崩壊する組織と「人間性」がいとも簡単に崩壊して人間は狂気――このようにレッテル張りをしてしまう事は本来望ましい態度ではないが――の側へと移動してしまうのかを映画ならではの表現で描いている事は評価できると思う。

史実的な出来事への描写の甘さは救いがたいとは確かに思う。そしてそれら外界の出来事を丁寧に描写してこそ地下壕での狂乱が持つ「悪の陳腐さ」はより一層引き立つのだが、いわゆる極限状態で我々が自明視する良識概念が暴力によって踏み越えられ、現実ではなく妄想のみに依拠するイデオロギーが思考の一切を支配していたというかの状況には強い戦慄を覚えた。それだけに、安易なハッピーエンドをラストに持ってきた事は実にもったいないなあ、と思うのであった。


顔面石  (2006.01.27)

「萌え」なる概念はもう死んだ、とかなり以前の「独り言」で書いた事があるが、そもそも「萌え」とは虚構の登場人物、特にアニメやエロゲー等のそれに理想とも言うべき人格を全くの消費者の側から吹き込む事で物語から独立した生命を付与し恋愛に似た感情を抱く、というものであったように思う。そこには、当然人格的存在としての尊厳を得られることなく単なるヲタク、薄気味の悪い非社交的な連中と十把一絡げに扱われていた彼ら――時として私もそこには含まれただろう――の抗議に似た要求の呟きが聞こえていた。人格のないものに人格を吹き込みたがったのは、人格がある(と少なくとも自分では思っている)のに人格など有りはしないと社会全体からレッテルを貼られていたからなのだ。人は時として自己が求める事を他者に対して行う事で埋め合わせをしようとする。

だが、昨今、特に昨年見られた「萌え」の概念は、そうした態度からは大きく変質し、単なるフェティシズムの一種へと堕しているように思えてならない。ハナから人格を否定されてきた、そして人格を持とうと意志すらせずひたすらひたすら記号消費に明け暮れた十代を過ごしてきた彼ら新しい「ヲタク」達にとっては、架空の存在に人格を幻視する事で自らの人格を救済しようという営みはそもそも無縁だろう。自らの右手にうってつけの合成麻薬が与えられれば彼らはそれで十分なのだろう。だからこそ彼らは異常な程に規則に対して従順だし、コード進行&リズムパターンの再利用や旋律に明らかな手抜きがしばしば認められるI'veの曲だって喜んでホイホイと聞くのだ。

私はこれは率直に言って一種の惨状でしかないと考える。思考力を事実上喪失したこうした末端消費者と化してしまった彼らはもはやただの生ける屍でしかない。いわゆる実存主義的主体の復権を今更唱えるのは余りにも懐古主義に過ぎるが、少なくとも「萌え」なる概念は性根と判断力の腐ったマーケティング担当者の玩具にとどめ置き、速やかな死を迎えさせてやるべきだろう。まあ、アキバなるものが最早消費されきってしまいつつあるのも事実だなのだが。


「望み給え、欲し給え」  (2006.01.22)

「国民クイズを打倒して、いったい誰にこの国の運営を任せるつもりだ!?
アホな政治家どもにか!? それとも投票すらしないこの一般市民とやらにか!?」
「K井! お前も番組の司会者ならわかるはずだ!! 日本人がどんな生き物かってことが!!
奴らは腹をすかせた豚と一緒だ!!」
「国家とは何だ、え!? K井!! 政治家と官僚が国家の全てじゃないんだぞ!!
国家とは……日本とは……まさに、あの連中(大衆)だ!!」
杉本伶一&加藤伸吉『国民クイズ』(下)pp.428-436
最近、というよりだいぶ前から、国民クイズ制の実現を心の底で願う自分がいる。
同作品未読の人の為に一応説明しておくと、「国民クイズ制」とは近い未来、日本で憲法第104条に「国民クイズは国権の最高機関であり、その決定は国権の最高意思、最高法規として行政、司法、立法その他あらゆるものに絶対無制限に優先する。本憲法もその例外ではない。」という条項が定められた政治体制を示す。視聴率98%を誇るテレビ番組「国民クイズ」(某番組のタイトルはこれからの剽窃である)での優勝者は、どんな願いでも日本政府が叶えてくれるというものだ。
言うまでもなく同作品は『素晴らしき新世界』や『レダ』等同様のディストピアものに当たる(例えば年金支給は抽選制であったりする)のだが、対話的能力や経済的合理性ばかりが称賛され、つまらぬスキャンダルに多くの耳目が動かされているのを見るにつけ、鶴見済がかつて言ったような「デカい一発」を待ち望む意識が頭をもたげてくるのを感じる。港区の高層ビル群の側をビル風に吹かれながら歩いていると、巨大地震で全てが壊滅してしまえばいいのに、といった邪悪な期待を抱かずにはいられない。
本質的にはそれは私自身の無能と無力さに起因する事はよく承知している。世界を変える前に自分を変えるべきことは言うまでもない。世間知らずで能力も低い事の腹いせに特定の集団を目の敵にする程の余裕も残念ながら今の私にはないように感じる。
だからこそ、いわゆる最終的解決を以てこのような苦痛を絶対的に終わらせてしまいたいという意識、それは基本的にはすこぶる怠惰なものに他ならないのだが、それでも全面的に別なものになってしまった世界は、少なくとも今の世界よりマシではないのかという妄想が頭をかすめる。
このような閉塞感は、程度の差はあれ常に意識につきまとって離れない。その意味で、経済的手段に依らない欲望の実現の口実と手段を与えてくれる国民クイズ制は、時として途方もなく魅力的に映るのだ。


おおおおおおおおおおおおおお……  (2006.01.19)


コニミノ、カメラ事業撤退

※上の写真がやや後ピン気味なのはひとえに私の腕が悪いせいです。

ロッコール時代からミノルタを知る人には比ぶべくもないが、DOS/V Magazine Award(これもいつの間にか消滅してしまった企画だが)のデジカメ部門で初めてDiMAGE Xを見た時は驚きであり、パトローネも含めたフイルム装置から解放されたデジカメならではのコンパクトな屈曲光学系のスクウェアフラットモデルは、使用のフィールドを大きく拡張するという(フイルムの無駄を気にしなくとも良いのだから!)意味で、そしてポケットに突っ込んでおいてすぐに使えるという意味で、未来性を予感させるアウラをまだ纏っていたという意味で、デジタルカメラのコミュニケーションギアとしての可能性を強く感じさせるものだった。その前にも大学のバイト先でQV-10等を使っていた事はあったが、それとは全く次元の違うXの可搬性、ファッション性は、フイルムカメラの(一般ユーザーレベルでの)そう遠くない終焉を予感させたものだった。
その予感は果たして当たる事になったが、昔から赤金を好む(赤色の柄物ネクタイだけで3本以上、赤のワイシャツは夏冬それぞれ3枚以上所有、赤靴下に至ってはたくさんたくさん……)私が飛びついたのは、その後継機種に当たるDiMAGE Xtだった。画素数が少ないため快適な動作が可能なこの機種は、今使っても十分にバランシーな印象を受ける。

その後DiMAGE Xシリーズでは機能追加とカラーバリエーションが停滞し(しかも自社開発ではないので性能向上もほとんど無かった)、赤色モデルがなかなか発売されなかった事もあって、コンパクトモデル購入の意欲は一旦滞っていた。そもそも主用途がwebサイト掲載画像なのだから500万画素も600万画素も要らないわけだ。

ようやくコンパクト機を買い足したのは去年の夏。屈曲光学系で手ブレ補正付き&赤モデルということで躊躇わず予約したのだが、決してその画質や性能は満足できるものではなかったと言っていいと思う。
それでも私はこのカメラを普段から持ち歩いている。それは恐らく、屈曲光学系フラットモデルというこのカメラのスタイルが、何気なく日常を撮り溜めるという点において、撮影に対する積極性、つまり一眼レフのような「一撮入魂」の気合いを必要としないからだと思う。その気軽さ、ファッション性、素人ユーザーのカメラライフを拡張する可能性、そして撮る行為によるコミュニケーション機会の拡がり。DiMAGE Xシリーズはそうした世界を私に教えてくれたデジカメであった。単なる機械、しかもデジタル家電と呼ばれる機械に記憶を纏わせるのは流行りの態度ではないだろうが、これらのカメラを懐に入れて外を歩く時の、意識が外の世界へと少し拡がっていく時の期待や静かな興奮を、私はこのカメラと共に思い出す事になるのだろうと思う。

残念。その一言に尽きる。


ん?  (2006.01.15)

今日はスポーツクラブでスタジオプログラムで汗を流していた。
このプログラムのインストラクターはBGMを結構頻繁に替えていて、流行っている時は「恋のマイアヒ」なんぞを流していたのだが、今日は後半に入って、何か聞き覚えのあるメロディが。ん?

♪ちゃんちゃんちゃ〜ん ちゃんちゃんちゃんちゃん ちゃんちゃんちゃちゃんちゃん♪←これだけでは分かりません

……(記憶検索中)……

おお、これバブルボブルだ!


耐え難い  (2006.01.13)


自分が正しいと思っている人々、或いは自らの所属する価値体系が圧倒的多数者の支持によって事実上正しいと考えている人々と話す事は耐え難いということは繰り返し書いてきた事だが、それでもやりきれない感情に襲われて気が塞ぐ事が少なくない。

人間同士の相互理解といったものは基本的に全く期待しないし信頼しないはずだが、そのような人間と接する事を余儀なくされる日常で絶望に近い悲嘆を感じずにいられないのは、何らかの形で他者に対する甘えがあるからなのだと思う。少なくとも、私の価値観は伝達可能であり、理解可能であるという錯誤が私の心に未だに染みついている為だ。とするならば偉そうな言葉をどれほど振りかざそうとも彼らと私はさほど変わらない。むしろ甘えている分だけ愚かだ、という事になる。


恐らく私は、生きるには値しない。それでもこうして恥を曝して生き長らえているのは、無様と言う他ない。

海に溶けてしまいたい。


行ったよ  (2006.01.09)

ゲルハルト・リヒター展@川村記念美術館に行ってきた。
リヒターの展覧会といえばかなり前(1997年)に新宿のワコウ・ワークス・オブ・アートでまとまった展示を見て以来、しかも昨年暮れの同スペースでの展覧会は怠惰な生活のせいで見逃してしまっていたため、今世紀に入ってからの作品群は初めて見る事になる。
作者の「個性」を排す事で鑑賞者の記憶に沈殿する視覚の断片を形象化するような彼のフォトペインティング群は余りにも有名だが、今回の展覧会では21世紀に入ってミニマルアートへの傾斜を強める彼のインスタレーションが目を引いた。ニエレ・トローニや杉本博司、宮島達男、ドナルド・ジャッジなんかも含めてミニマル・アートは特にここ7〜8年私個人としては気になっているのだが、リヒターのインスタレーション群はそれとはやや異質ではあり、叙情的な印象があった。

おいてあったチラシには千葉市立美術館でのスイス現代美術展の案内が。
行くか。


頭いてえよ  (2006.01.04)

同窓会誌から抜粋。校長の言葉。

本校では茶髪は禁止されている。そのルールに従えないのであれば、別の学校に移って頂くしかない。

「判断力の不足は、元来、愚かさといわれるものであり、そのような欠陥はまったく除去することが出来ない」(カント)

救い難い程の因循姑息は挫折或いは敗北に依らねば脱出する事が出来ない。


朱鷺によせる哀歌  (2006.01.03)

去年の暮れに届いていた母校(中学・高校)の同窓会誌を読む。仏語第一外国語選択履修者の激減の報に触れる。

私の卒業したかの学校は最低週6時間の枠で仏語を学ぶことが出来るという珍しい環境にある。私が在学した当時ですら相当の少数派であったことは否めなかったが、受験言語の軛から緩やかに逸脱した仏語学習者の構成する空間は、ある種の教養主義的な雰囲気が常に支配していた。講読の授業ではモリエールやカミュ、ランボーやコクトー等を読んだこともあった。

また、高校では特に「フランス語フェスティバル」なる仏語教育校同士の交流会があり、極めてアンティームなその雰囲気は、仏語を学ぶ者同士のある種の暗黙の連帯感を醸成していたようにも思う。異質であることを共有しあえる外部との交流は、当時既に圧倒的に支配的だったアングロサクソン文化に対する一つの避難所としての仏語学習者の想像上のコミュニティを与えてくれていた。蒸し暑く慌ただしい午後、演し物の仏語劇の準備の最中、某校の生徒達と何気なく交わした二言三言の会話が薫らせた甘美な充足感は、かの言語を学んだ経験の中で最も美しい瞬間の一つであったかもしれない。異なるものへの眼差しが具現化するその瞬間は、自らが拘留されているこの世界が現実的であり支配的であったとしても、そうではない、全く別の可能性が、希望として存在しているのではないかと感じさせてくれたのだ。

だが現状、このような可能性の領野は残酷な終末を迎えようとしているのだろう。それは時代の趨勢という大号令の下では致し方ないものなのだろう。私が得ることを許されたあの恩寵のような瞬間は、それが存在し得ただけでも喜びとすべきものなのだ。そしてその世界は今や滅び去ろうとしている。


今、私は吉松隆の『朱鷺によせる哀歌』を聴いている。所謂「滅びの美学」に身を委ねるのは本来余り好きな事ではない。だが、有名な学名を冠されたあの鳥が辿った運命を浮上させるこの曲のストリングスと悲哀に満ちたピアノの音色を聴いていると、例えようもない程の悲嘆が、まだ人生というものに希望を抱いていたあの頃の思い出と共に私の心を、救い様のない形で揺さぶるのだ。


あけおめー  (2006.01.01)

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

去年の暮れ、初めて水煙草なるものをやってみました。
肺活量に物を言わせて豪快にブクブクやったらちょっとクラクラきちゃいました。あうー。


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