2011年07月
「ぴあ」とラジオ会館の終わり  (2011.07.23)


この前の木曜日、雑誌「ぴあ」の最終号が発売された。駅の書籍売店では店員が最終号発売との宣伝を行っていた。私もその例に漏れず、恐らく3年ぶりぐらいに、同誌を購入した。

思い起こせば、「ぴあ」は私の青春時代には欠かすことのできない雑誌だったように思う。生意気盛りの中学〜高校時代、同誌を学校の近所か通学路の乗換駅の書店で購入しては電車の中でページをめくり、展覧会や映画の情報を探して読みふけったものだった。広告宣伝による紹介順位の恣意的な操作がなかった同誌の情報は、マイナーなものにも当時の私の感性を強く刺激し、かつ育ててくれるものがあるのだということを教えてくれた。私の現代美術好きの傾向は恐らく同誌の記事に因るところが大きい。また映画にしても、デレク・ジャーマンの『Blue』とかアルゴ・プロジェクトのいくつかの優れた映画、そして「コトバ派」といわれる服部祐民子や橘いずみや片桐麻美などの音楽、あるいは大学生になってからはアーゴやECMなどから発売されているポストモダン派の現代音楽に触れる機会を持つことができたのも、この雑誌のお陰だったように思う。当時の私は、多分にミーハーな側面があったことは認めなければならないし、今でもそういう傾向があるのは明らかだろうが、この雑誌にフラットなスタイル、つまりメジャーなものもマイナーなものも等し並みに扱うという都会的な混沌ゆえに掲載されており発見することができた、一般の文化産業のコンテクストからは排除されてしまうような、ある種の性格を帯びた何ものかに惹かれ、それらに育てられて来たように思う。

また単なる偶然ではあるだろうが、今月の上旬に、秋葉原駅前のラジオ会館が実質的に閉館した。「ぴあ」を片手に文化を気取る生意気なガキになっていた時期に先立つ数年前、パソコンがまだマニアの玩具としての「マイコン」と呼ばれていた時代、私は暇を見つけては秋葉原のラジオ会館に足を運ぶ、いわゆる「マイコン少年」だった。最初に手にしたパソコン(PC-6001MK2)も、同ビルの中で店を開いていた父の知人から購入したものだったし、同ビルの中にあった真光無線(今は電気街で無線パーツを売る店に戻っているようだ)で時折小遣いを貯めてはゲームソフトを購入してもいた。そしてなによりも大事なのは、このビルの最上階にはNECのショールームであったBit-innがあったことだった。同スペースで展示されていた新製品の数々は、搭載メモリは多くて1.6MB程度だし、CPUも16bitで10MHz程度、HDD容量は搭載モデルでも40MBがせいぜいであり、今から見れば携帯電話のスペックよりも低いような代物だが、それでもハードウェアやプログラミング言語の構造はいずれも当時の私でも理解できたし、ゆえにハードウェアの進化には時代が未来に向かっていく様子を体感させてくれるかのようなドライブ感と興奮が常に伴っていた。秋葉原のBit-innはそうした時代におけるマニアたちのための聖地であり、一種のアリーナのような存在だったのだ。時代は移り、海洋堂とかのフィギュア屋がテナントの大半を占めるようになってからも、秋葉原の駅前にそびえるこのビルの存在は、この街がその存在理由として混沌というものが孕む熱気を今だに有しているのだということをその前を通りがかる度に私に思い起こさせてくれていた。だが、そのビルもまもなく姿を消す。

昔を懐かしむのは賢明なことではないし、過ぎ去っていったものを嘆いたところで何かが変わるわけではない。全ては時と共に移り変わるものなのだし、その速度こそが都市のエネルギーであり、生命力なのだということは分かっているつもりだ。だが、あの時代に私の世界観を形成するのに少なくない役割を果たした、フラットな情報の洪水、趣味志向の外部から認識を襲う存在に身をさらすことによってこそ味わうことができるあの知的興奮を生むであろう都市の文化的混沌というものが、ソフィスケートされた「レコメンドエンジン」であったり、「プッシュ型情報行動」であったり、あるいは自称「能動的」ではあるけれども実質的には好きなものしか選択しないという情報行動に代替されていくのだとしたら、それはこの平坦な戦場が、生き延びていくのにすら値しないような、魅力のないモノトーンなものに落ち込んでいくのではないかという印象を私は抱かずにはいられない。換言すれば、期待も喜びも、そして惑乱も衝撃もない、官能すら忘れてしまった、美しい情報の場に、この都市空間はこれから入ろうとしているのかも、しれない。


ふくれあがるデータとそのゆくえ  (2011.07.11)


NASの増設も一段落し、古い方のNAS(I/OデータのHDL-GT2.0)の容量拡張についても技術的な目処がほぼついたので、金策さえすれば可能な段階になってきた。このまま行けば、今年の秋には現状の4TB+1.5TBから4TB+3TBの7TBのストレージ環境が実現できるので、当座必要なデータを全てPCの外に追い出す準備が整う。新しいPCを組む作業はそれからにする予定。今度のマシンはSSDベースでできる限りシンプルな構成にして、ストレージ類はすべて外部に追い出す方針で今は考えている。まあ、その頃にはBulldozerコアのAMDプロセッサでTDP65W〜89Wくらいのものが安価で買えるんじゃないかと期待。今のPhenomX4 9750はクロックの割には性能があんま高くないし、何よりTDPが125Wの古いバージョンなので発熱が凄まじく、低負荷状態でも60度くらいあるんですよ……。まあ、プロセスルールが65nmの時代のだから仕方ないんだけど。

愚痴はさておき、写真などのデータのバックアップを外付HDDに行うとき、ついでに総ファイルサイズを確認しているのだが、それが徐々に洒落にならない水準になりつつある。例えば2003年に初めて購入したデジカメ類で撮影した写真や、それ以前にフィルムカメラで撮影したネガをフィルムスキャナで取り込んだものは、全部で303GBに達する。また、2009年に購入したビデオカメラで撮影した動画は購入後2年も経っていないのに、既に270GBを超えている。さらにはCDからエンコードした音楽ファイルは、半年ほど前からフォーマットを可逆圧縮方式のFlacに移行したこともあり、既に225GBある。
これは現在RAID1+0で構築した新しいNASに保存し、定期的に別のHDDにバックアップをとっているわけだが、ここ2年はざっとした計算でも年間200GB程度のペースでデータが増えている。新しいNASにはまだ2.6TBの空きはあるものの、ビデオカメラを今以上に使うようになったり、新しいデジカメの画素数が更に増えてしまったりすると、このペースは更に上がる。現状購入したDVDソフトやBDソフトのイメージファイル化は一旦やめているからいいようなものの、今後このような運用が長期にわたって可能かと考えると、消費電力やHDDの実質的耐用年数(持っても4〜5年がいいところ)、およびUPSのバッテリ交換などの総合的なコストを考えた場合、個人で運用するのはコスト面で無理だという限界点がある時点で生じることは容易に予想される。それに金があったとしてもそんなに個人でファイルサーバーをガンガン何台も回すのはあまり良いことではない。

そんなわけで、あまりにも古いファイルや黒歴史(笑)に属する写真類はすべて光学ディスクに焼いて封印しておこうかとも考えるのだが、実は光学ディスクのデータの保存性はヘタをするとHDDに劣る。言うまでもなく、色々な本やWeb上の文書で推奨されているとおり、光学ディスクは高温多湿を避け、冷暗所に保管することが望ましい。あとは反りの問題を回避するために、ジュエルケースなどのハードケースに一枚一枚保存できればベストだろう。しかし、それらを実現するとなると冷蔵庫を一台調達してこないと安定環境の実現はできない(実際プロの写真家にはデータの保存には専用の冷蔵庫を使っている人もいるようだ)わけで、となると消費電力の面からするとサーバーを動かすよりも遙かに電気を食う。

過去のことはきれいさっぱり忘れてしまえ! ということで10年以上経過したデータは片っ端から捨てていくというのも一つの方法ではあるのだが、何とも悩ましい話であります。


キーン氏が身を挺して示す問いと、ある種の無思慮について  (2011.07.03)

先日、家に早く帰ることができたので、「クローズアップ現代」を見ていた。同番組では、齢89にして日本国籍を取得することを選択した日本文学研究家のドナルド・キーン氏を取り上げていた。いうまでもなく日本は二重国籍を少なくとも形式上は認めていないので、彼にとって日本国籍を取得するということはアメリカ国籍を喪失することと同義である。この決断の重大さは並大抵ではないだろう。

そして、番組の最後で、国谷キャスターの「あなたにとって、日本人とは何ですか?」との問いに、キーン氏はこう答えた。

「それは、この私です」。

この答えはそれ自体として根本的な問いを我々に投げかけている。即ち、ナショナリティとは「血と大地」によってあたかも一つの遺伝的形質として獲得されるものではなく、別のより唯名論的なアプローチによって定義づけられるべきものではないのかという問いを、キーン氏はその長い研究者としての(恐らく)最後のステージに於いて、「日本人」である我々に対してその身を以て問いかけている。
それは恐らく、国家としての理念を曖昧にしたまま、情緒的なゲマインシャフトを拡大させた形で近代においても国家を発展形成させてきた「この国」の(特にエリート層の)無思慮に対する告発でもあるように私は思う。この情緒的な想像の共同体は今日、グローバル化と世代間、あるいは異なる利益集団間のパイの奪い合いに似た猛烈な対立と紐帯の解体によって、あるいはそのおかげで崩壊し破産寸前の状態にある。そして一部のビジョンを欠いた人々はノスタルジアに走る余りにかつてのゲマインシャフトにおいてしか自明ではなかった義務概念を礼賛しそれに服従できない人間は日本から出て行けと喚くわけだが、キーン氏のこの問いかけは、社会を構成する者によって社会が成り立っているのだという極めて当たり前の基本的事実から我々は日本という概念についての定義を再度行わなければならないという現実を、構成員の共約不可能な多様性という事実に即して見据える必要があるというプロブレマティークを、静かな眼差しの中から突きつけているように思うのだ。


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