2009年12月
旅に出ます  (2009.12.15)

予告していましたとおり、12/17から1/2まで旅行に行ってきます。
旅先でも一応メールはgmail経由で読めるように設定しておきますが、返事とかは遅滞しがちになる可能性大なので、あらかじめご了承下さい。

また、現在使用している日記のシステムでは一日ごとの更新になるのですが、こちらも更新は相当滞りがちになると思います。ちょこまかとした更新みたいなものはMixiの方を軸にやっていく予定ですので、現状をお知りになりたい方は当方宛にマイミク申請をお願いします。


電子辞書への不満  (2009.12.13)

他人の噂話ばかりしたがる人のことはとりあえず除けておくとして。

旅行の支度をしていると必要上ポケットサイズの辞書を持って行くことになるのだが、複数の国を移動する場合には何冊か辞書を持って行くかあるいは現地でペーパーバック版の辞書を調達するしかない。いくつかの言語は勿論辞書なしで読み書きできないことはないが、たとえばスーパーで食品を買う時などはさすがに知らない単語だらけなので辞書は必要なわけだ。

そんなわけでスペースの圧縮もかねて電子辞書を時折探すのだが、まともな使用に耐えるレベルの多言語辞書を収録した電子辞書というのは残念ながらお目にかかったことはない。あるのはせいぜい英語+中国語程度で、その他の言語は1つオプションで入っているだけというケースが多い。以前は初学者向けの中途半端なものしか入っていなかったのに比べればそれも大きな進歩だが。

しかし、実質的にはそれでは意味がない。以前はソニーがEBR-S8MSという複数言語対応型の電子辞書を出してくれていたのだが、気がつけば同社は撤退してしまっていて選択肢がない状態が続いている。

英語と中国語の覇権に比べれば、その他の外国語がゴミみたいな扱いになるのはビジネス上仕方ない。でもたとえばSDカードに辞書データを入れる等(コピーの問題は別にしても)の方法で複数言語に対応するという方法は今でもアリではないだろうか。一言語あたり数千円の追加負担でそれが実現できるなら、是非ともそういう機種を購入したいと思う。
まあ、そういうヘルプがないから自分で勉強するきっかけになるといえばそうなのだけど。


低品質な人間  (2009.12.09)

どうも私の実名等を詳しく調べた輩がいるようだ。

私の本名を知っている人ならわかると思うが、これまでの日記に出てきた関連ワードと私の名前を組み合わせれば、まあ大体の経歴とかはわかる。
こうしてサイトを運営している以上、ある程度のところまでそういう事が露呈することはリスクとして考えてはいた。いや、正確に言うならば、私も一介の欲にまみれた人間として生きている以上、そんな手間をかけなくても誰でも知ってるような名の通った人間になれればいいなあ、と功名心2000%の考えもないわけではないので、バレたらバレたでもっと頑張らないといけないなとも思ってはいる。

だが、私の実名をわざわざ調べて、更にそれをgoogleで検索するような真似を実際に目にすると、そんなことをして他人の怒りを買おうと試みるような質の低い人間というのは実際に存在しているのだという事実に今更ながら驚く。少なくともそういう行いは、中学校等の裏サイトといった幼稚かつ陰湿な界隈でしかお目にかかることはないのだと私はタカをくくっていたわけだ。この点では私も世間知らずだと言われても仕方ない。

しかし、そういう下卑た行いをやっている時の表情というのは、得てして醜悪なものだ。コールセンターなどではオペレータが自分の精神状態を確認するためにディスプレイの横に鏡を置いたりすることもよくあるそうだが、そういう方法も無益ではないと思う。
また、あべこべのやり方を採用してみるのも一つの方法だろう。自分の名前をgoogleで検索して、それがどこにも見つからないのであれば、それが意味するところの差というのは言を俟たずとも明らかになろう。それが分からないならば、それはそれまでのことだ。


無礼な人間には屈辱を与えてやるのが礼儀だ  (2009.12.07)

「〜してあげたのに」とつい思ってしまいませんか?(All About)

バカじゃなかろうか。
厚意を受けて礼の一つも言えないような人間を放置することを慈善だの慈悲だのと言い繕って取り澄ますことには、なんの意味もない。むしろそういう無礼な人間はそのような経験を繰り返すことでもますます増長し、最終的には「教えて君」に象徴される厚かましいだけの有害な存在に堕する。むしろそうなる前に、制裁も含めて屈辱を与えてやることで反省の機会を与えてやる方が、後から見た場合は余程有益だろう。
たとえそういう人間とはそこで縁が切れたとしても、そういう水準の人間とは嫌な思いをしてまで付き合ってやる必要などない以上、実際そちらの方が総合的な面では遙かに有意義であろう。

見返りというと具体的な謝礼とか金銭的な利益を想像しがちだが、人間の関係というのはそこまで即物的なものでは勿論ない。ただ一言の礼が言えればそれで十分事足りるケースの方が圧倒的に多い。
にもかかわらず、それすらがまともにできないような人間は確実に存在する。そういう人間は他人を手段としてしか見られないという貧困な人間観から脱することができないままでいる。無論ビジネスの現場ではそれはある程度仕方のないことだが、「教えて君」はそれを私的な関係に平気で持ち込み、「友好的関係」の美名の下にこちらに無限の譲歩を要求する。
そういう北朝鮮の外交使節みたいな連中には、慈悲を示してやる必要などない。むしろ屈辱の強制、そして無条件の反省と謝罪を要求し圧服することが必要なのだ。そこを勘違いした件の筆者のような「にわか宗教家」気取りの無思慮なカウンセラーは、体系的な倫理的思考のかけらも持ち合わせていないため、小心者の日和見主義と何ら変わらない下らない結論を平気で振り回すのである。こんな阿呆の言うことを聞くくらいならパキシルでも飲んだ方が余程効果覿面というものだ。

私とて普段は頼まれたらイヤとは余り言えないし、質問されたらできる限りの範囲で色々調べて答えることにしている。それで一言お礼を言ってくれれば、それ以上のことはこちらも要求することはない。だが、実際、過去にはそういう事ができなかった連中に嫌な思いをさせられたことは少なくない。ネットショップに必要なサーバーレンタル業者等についてしつこいくらいに毎日質問してきたのに、礼の一つも言わずいきなり連絡疎遠になったH(その後ちゃんとショップとやらは開店したようである)、職場で購入するデジカメの選定基準について訊いてきたのに事後報告のかけらもなかったK(そしてこいつを嘘混じりのデタラメで弁護したA)、その他諸々どうしようもない連中を挙げることは十指に余るが、徳が卓越性を意味するように、愚かな連中には上から目線で罵倒しようが別に問題はないと私は思う。


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