2006年11月
売ってたよ  (2006.11.23)

近所の中規模家電量販店にDVDを物色に出かけたら、PS3売ってましたよ。20GBモデルだけだったけど、HDDはユーザーが換装できるし。
発売日の凄まじい騒動が印象に残っていたので、あれれれれれ?と拍子抜けした感が大でした。


一山いくらのアダージェット・カンタービレ  (2006.11.20)

この前フラリとタワーレコードを冷やかしてみたところ、偶然にもヴェネツィアレーベルから出ているコンドラシン指揮/モスクワフィルのショスタコーヴィチの交響曲全集(http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1384011)を見つけて思わず衝動買いしてしまった。帰宅後「バービ・ヤール」の鬼気迫るギスギス演奏に鳥肌モノの興奮を覚えたのはさておくとしてだ。

だが上司はこう言うのだ。「ショスタコーヴィチって何だか難しいよ(だから私は好きではない)」。ああ、そうなのか。ショスタコーヴィチが難解だとしたら、どんな作曲家が単純明快で平易だというのだろうか? ポール・モーリアか? 小林亜星か? つんく♂か?

恐らく彼はこう言いたいのだろうと想像する。「ショスタコは不協和音がドカドカ使われていてちっともメロディーが楽しくないから近付き難くて嫌だ嫌だみんな現代音楽なんてそんな感じだから嫌い嫌い大嫌い」。でもグレツキの交響曲第3番「悲歌」とか吉松隆の交響曲第2番「地球にて」はバリバリの現代音楽だけど不協和音も妙ちきりんな音も全然出てこないよメーン、といってもどうせ通じないだろうけどね。

だったらそう言えばいいのだ。不協和音やら不規則リズムあるいは微分音とかおよそ耳あたりのよくない音が大挙して押し寄せてくるのを嫌いであることは別に否定しない。音楽に求めるものが人によって違う以上、全ての人に例えばシュトックハウゼンのコンタクテを愛せというのはどだい無理な話だ。
むしろ悲しいのは、そのような不協和音を多用した曲が「難解である」とのレッテルを貼られ、しかもそれが否定的な価値を持って語られることだと思う。どうして不協和音が多いこと=難解であること=否定的なのか? そしてJ.S.バッハのコラールやモーツァルトの交響曲は簡単平明でしかもまさにその簡単平明さゆえに芸術的価値が比類なき水準で高いとでもいうのか?

もう少し考えをまとめる必要があると思うので今日はそろそろ寝ます。


1兆円つぎ込まないと足りないよ  (2006.11.18)

「日の丸検索エンジンは何を狙っているのか」(http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0611/17/news082.html)


以前この話を耳にしたとき、すぐに私が訝しんだのはこのような検索エンジンの開発は恐らく日本版エシュロンの開発を念頭に置いたものではないのか、ということだった。IT時代以前、日本とアメリカの貿易摩擦が知財戦争という形で燃え上がったとき、アメリカはこのネットワークはホワイトハウス側の勝利に少なからず貢献したと言われる。つまりは日本企業側の情報のやりとりは実質的に敵方へ筒抜けだったというわけだ。結果、日本のIT産業では日本企業のポジションは、エルピーダメモリが何とか生き長らえているものの、その他では韓国台湾米国の狭間で全面的壊滅に近い惨状に陥っているのが現状だ。富士通やNECとか日立とか東芝ではこうした現状に対する暗黙の怨嗟は凄まじいものがあると聞く。

当然RFIDや各種無線規格など次世代のあれやこれやに向けての動きはあるわけだが、そうした動きを政治的にもより有利に進めるためには、当然の如く諜報活動が不可欠になってくる。そこで物を言うのが「日の丸検索エンジン」ではないのか、ということだ。
そして担当官僚の物言いで非常に気になったのは、「リアルタイムの情報検索・解析」という概念である。テキストマイニングに代表される膨大な量の情報を解析するツールはオンライン調査分析の世界ではほぼ必須なものだが、このデータマイニング手法を発展させて、現在は有意な情報として処理されていないモノの流れやバイナリデータの追跡も含めてリアルタイムで解析することができるのならば、そして「敵方」の動向も別ソースと複合的に運用することで逐次把握できるのであれば、これほど諜報活動ツールとして、あるいは防諜ツールとして便利なものは少ない、ということだ。そして別方向で開発が進む京速計算機プロジェクトはこのような試みを現実的な処理能力の上で担保しうる存在となる。このような処理能力を有するマシン(勿論各地で運用するシステムの能力はせいぜい10TFLOPS程度だとしても)が人体シミュレータといった漠然とした目的にではなく、自国の国益を守るために世界中を流れる情報を全て蓄積してマイニングするため、という発想があるのならば、当然京速計算機もローレンス・バリモア研究所におけるBlueGene/Lのように御國の四方を守る用途に大活躍、という予算獲得に向けての素晴らしい目的が打ち立てられるわけだ。

まあ、いずれにしても陰謀論な訳ですが。


お約束ということで  (2006.11.16)

バブル期ほど大騒ぎしなくなったとはいえ、ボージョレー・ヌーヴォー解禁日ということで昼休みにどこかのレストランで一杯やるかと色々見て回ったのだが、近所のレストランはどこもジョルジュ・デュブッフみたいなどうでもいい的銘柄しか扱っておらずしかもそれをべらぼうな高値で(グラス一杯800円とか)出していたので興ざめしてデパートの地下にてルイ・ジャドーのBaujolais-Villages Primeurを3600円ほどで購入。帰宅後栓を抜き飲んだ次第。ちなみに当該売り場で試飲をやっていた担当のお姉さんはフランス人らしく、ろくに日本語の研修も受けておらず結構大変だったみたい。気を遣ってゆっくり話すのも面倒臭いのでフランス語でお買い上げ。

値段相当の味と満足が得られるレベルか……というと、決してそうは言えない水準。普段遣いのワインであればまあ1980円くらいがせいぜいと言った感じの味だが、決してまずいわけではなく、色も濃い菫色で楽しげではあるし、フルーティーな中にもタンニン分がしっかり決まっていてバランスが取れてしっかりした満足感の味に無難に仕上げているあたりはさすがルイ・ジャドーではあると思う。いずれにしてもこれは秋の収穫祭も兼ねたある種のお祭りなのだから、極端にコストパフォーマンスに拘泥するのも無粋な話であろうとは思う。

あー、飲んだ飲んだ。でも明日は仕事。


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