地図1
※このページで掲載した写真は右の地点で撮られています。
黒、青、赤の●はそれぞれ2、3、4枚目の撮影地点です。


★駅は封鎖じゃあ!

レピュブリック駅・改札付近
  それでも何とかレピュブリック駅には着いたのだが、そこでほとんど全ての乗客が降りるため、ホームも出口へ向かう階段も大混乱。つか、動かない。普段なら2分程度で地上に出られるはずなのに、この日は恐らく15分くらい掛かった。
  一苦労しながら改札を出てみると、そこもまた人だらけ。全然進まない。私はあんま背が高い方ではないので、平均180cm以上は余裕でありそうな他の人々の中で酸欠状態で苦しかった。その中で写したのが左の画像である。
  で、改札近くにあるモニターを見てみると、「この駅は安全上の理由から、間もなく閉鎖します」とのお知らせ。実際このあと、バスティーユもナシオンもデモ路の主要なポイントにある駅は全て閉鎖されていた。駅付属の有人有料トイレとかは開いていたが。



★人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人

レピュブリック広場
  3時少し前、ようやく地上に出られる。まずは深呼吸。しかし前に進めない。階段を上りきった段階(シャレではない)で人が立錐の余地無くワラワラといて、どこにどう行っていいのか分からないのだ。とりあえずそれでも人をかき分けかき分けして真ん中の広場に到達して撮影したのが右の写真。噴水とかがある区域には本来はもちろん入っちゃいけないのだが、そんなことを言えるような状況ではなく、とりあえず場所がありさえすればそこには人が入っていくような有様だった。
  少し遠くに見えるバルーンはアレム・デジール率いる反人種差別団体S.O.S.Racismeのもの。先日のデモでの「ウチのダチに触るんじゃねえ!」というプラカードはこの団体のものだった。もちろんこの日もこのプラカードはあちこちで見られた。

レピュブリック広場2:マリアンヌ像

  レピュブリック広場にはテレビ局のクルーも沢山出ていて、広場に面したアパートのバルコニーを借りてカメラを回す光景が数多く見られた。上空には報道陣とか内務省のへりが何機も飛んでいた。内務省のそれは無論デモ隊が暴徒化した際に備えてのものである(催涙弾発射用の装甲車も何台か見かけた)。ちなみにリベラシオン紙とかルモンド紙のサイトではレピュブリック広場などにどのくらい人が集まったのかを鳥瞰した写真が何枚か掲載されているので、それを見るとどれくらい人がいたのかがより一層分かるだろう。一応説明しておくと、新聞社サイトなどで掲載されている写真のプラカードに書かれている「Aux urnes, Citoyens!(市民よ投票を!)」はフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の一節「Aux armes, Citoyens!(市民よ武器を取れ!)」のもじり。
  今回のデモ参加者には無論学生も数多くいたのだが、その中にはI.N.A.L.C.O.(Institut NAtional des Langues et Civilisations Orientales:国立東洋言語文化学院。「イナルコ」と普通は読む)の学生もいて、「ファシストきらい」とか「ルペンださい」とか手書きしたプラカードを掲げていた。
  それでもこの激しい混雑の最中商売熱心な人はいるもので、焼きソーセージとかサンドイッチスタンドとかの出店はその隙間をうまく見つけては店を出していた。そのほとんどは車でやってきていたが、中には逞しく普通の出店で頑張っている人もいた。すげえなあ。


★ヴォルテール大通りへ

ヴォルテール大通り   1ページ目にも書いたとおり、デモはレピュブリック広場からバスティーユ広場を経由してナシオン広場へと向かうルートをとっている。この場合はまずタンプル大通りからフィーユ・デュ・カルヴェール(カルヴァリオの丘のこと)大通りを経てボーマルシェ大通りに入り、バスティーユ広場に到達するのだが、あまりにも人が多すぎてこのルートは全然動く気配がない。というわけで組織動員者以外の一般参加者は一本隣のヴォルテール大通り(レピュブリック広場からナシオン広場に直接繋がる大通り)を通ることになった。このあたりはなんか労組優先という感じがして賛成できないのだが、途中から当初のルートに戻ればいいやということでヴォルテール通りに入ることにした。この段階で午後4時半。1時間半も揉みくちゃになりながら待っていたことになる。


その1へ   その3へ