※今回のデモで槍玉に挙げられていたルペンがどんな奴か知りたい方は前回のデモ参加記をご覧下さい。



★デモはどこで行われたか、とか

  デモは前回と同じくレピュブリック広場からバスティーユ広場経由でナシオン広場までのおよそ4kmに渡って繰り広げられる予定だった(パリ市全体における位置を知りたい人はここをクリックしてください。別ウィンドウが開きます(約100KB)。)。当初の主催者の見積もりによると、参加者は最大でも30万人ぐらいではないかとのことであった。無論、5月1日はメーデー(この日が祝日ではないのは先進国では日本くらいのものである。連合は腹切って詫びろ)であり、各種労組などはここぞとばかりに全国的に組織動員を掛ける。それだけでも相当な人出が見込めるわけなのだが、それでもパリ市とその周辺人口を考えれば30万人くらいというのは現実的な数字ではある。



★準備してきましたよ、ええ。

  で、デモに参加するに当たっては、今回は人出が多いからおそらく各団体もシールを配るほどの余裕はあるまい、ということでサンドイッチマン(オイ)のようにパネルを体の前後にぶら下げる一種のプラカードを作っていった。DTPソフトでこさえた素材をプリントアウトして段ボールに貼った上で、それを上から雨よけのビニールシールをかぶせて、隅に穴をあけて紐を通してそれをガムテープで保護してできあがり。制作時間は約1時間半、費用は2ユーロくらい。段ボールは近所のスーパーで貰ってきた。なお、素材のそれぞれははこちらをクリックしてくださると、大きいものとその説明がご覧になれます。
でも、よもやこれが取材のネタになろうとは、露ぐらいしか予想していないのだった。



★人が多すぎるんだよウワーンヽ(;´Д`)ノ

  今回のデモは3時開始ということだったので、2時半少し前にアパートを出てレピュブリック広場に向かったわけだが、最初に地下鉄に乗った駅からして人が祝日にしては異様なくらい沢山いた。地下鉄の車両もかなり激しく混んでいて、東駅から乗ってきた人は「駅前が人だらけで身動きがとれない」とか言っていた。タダゴトじゃないぞこりゃ、とその時に思ったわけだが、事実デモから戻ってきてルモンドなんかのニュースサイトで調べてみたところ、デモの列は3時段階で北駅からナシオン広場までギュウギュウ状態で完全に行進が麻痺していたそうな。その様子を右にまとめてみた。
  色をそれぞれ説明すると、赤で塗りつぶしたところがメインのデモ参加者がいたところ(レピュブリック広場からナシオン広場にかけてはそれ以外の路地も無論人だらけ)、焦茶色はそれに先だって行われた極左などのデモ、そして赤紫グレーは国民戦線のデモのルート。その他にもルーヴル宮近くのセーヌ川岸では1995年の国民戦線のデモの折に殺されたモロッコ人、ブラヒム・ブラアム氏の追悼集会が2000人の参加者を集めて催されていた。
  デモ参加者数は内務省の発表によると反ルペンのデモが40万人(主催者発表は90万人で、ルモンド紙は実態はこちらの方が近いとしている)、国民戦線は1万人。ルペンの発表は12万人だそうだが、写真とかテレビ映像を見る限り、多くても2万人ちょっとであり、3万人には絶対に到達していない。そもそも国民戦線のデモスタート地点だったシャトレ広場からオペラ座通り程度の面積に12万人を詰め込むには、相当無理をしないと不可能なのだが。というわけでルペンはウソツキ決定


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