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エミール・ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』

論創社版『ボヌール・デ・ダム百貨店』を読んだ。

話のメインの筋ははっきり言ってハーレクインロマンス級のどうでもいい恋愛物語なのでつまんないの極みなのだが、ボヌール・デ・ダム百貨店(つまり大規模小売業)が周囲の零細小売業を片っ端から蹂躙していく様子は実にリアルで圧巻である。いわゆる街の洋品店みたいな傘職人、帽子屋等がなぎ倒され、ボーヌ・デ・ダム百貨店に立ち向かうべく廉売競争に突入した生地屋は大赤字を出した挙げ句店主は破産して自殺未遂。そこそこ手堅い商売をしていたボーデュのラシャ屋は婿養子に決めていた男コロンバンがデパートの店員に恋慕して身を持ち崩し、店主の娘ジュヌヴィエーヴは悲嘆の余り死んでしまう。「百貨店」は彼らから利益を奪い去ったのみならず、人生の一切を根こそぎ奪っていく。この猛烈な資本の暴力こそが実は現在のパリの美しい景観を作り上げた原動力であったという歴史の皮肉は、彼の地を旅する人間なら胸に刻んでおいて損はない。
そしてかの百貨店が編み出したマーケティング手法、即ち「女性を徹底的に収奪せよ」という戦略は、そっくりそのまま今日の日本でも生きている。某地下鉄のイメージ広告が片っ端から例外なく買い物マニアの女性を美化・礼賛することによって東京の都市空間のみすぼらしく醜く薄汚く排他的で狭苦しく陋劣で物価と住居費が高く人間性を太平洋に打ち棄ててしまっているダメダメさを隠蔽しているのもそういう搾取の文法に則っているのだ。そして岐阜市の中心部は今日もゴーストタウンで、人がいるのは金津園の周りばかりなり、ということになっているのだ。

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2007年01月03日 21:02に投稿されたエントリーのページです。

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