2010年チュニジア・フランス旅行記(6)



12/22(水)
スーツケースを取り戻せたせいか、比較的ぐっすりと眠れたようだ。朝6時半、目覚ましの音で目が覚める。ホテルのレストランのビュッフェの朝ご飯を食べる。喉が痛いので、ビタミン補給も兼ねてオレンジジュースを数杯飲む。

7時半過ぎ、ホテルのレセプションにてチェックアウトを済ませ、ロビーでまったりする。今日からは旅行代理店に依頼した4WD&運転手氏との行動になるので、ある程度気が楽だといえば気が楽だ。何よりも、タクシーの運転手と半分喧嘩腰の運賃交渉をしなくていいというのは精神衛生上非常によい。

50分頃、レセプショニストが運転手のA氏の到着を知らせてくれ、車に乗り込む。ランクルだよ。すげえ。


ちなみにこの日の移動ルートは上記の通り(青の線で塗ったところがルート)。途中エル・ジェムのローマ遺跡に立ち寄り、トズールへと移動する。移動所要時間は推定5時間以上の長丁場である。

というわけで移動開始。A氏と自己紹介を交わし、まずはエル・ジェム(アラビア語では「アル・ジャム」という)へと向かう。
さすがに小生のような仏語でワーワー喋る客は初めてらしく、こちらも話がしやすいぜ、とA氏は喜んでいた。そうまで言ってもらえれば勉強した甲斐があるというものだ。

     
     
9時半過ぎ、コロセウム(正確には円形劇場)に着く。ローマとかアルルのコロッセオは見学したことがあるのだが、ここの円形劇場は修復の程度こそイマイチなものの、規模という観点からはアルルのそれを凌ぐと言っても過言ではないように思えた。でかい。

     
     
円形劇場のアリーナには、ベンアリのモザイクが掲げられていた。ありがちな看板ではなく、ご丁寧にモザイクでベンアリの肖像画を掲出するあたり、このオッサンの自意識は正直どのくらい突き抜けているんだろうかとゲンナリしたが、無視しつつ見学を続ける。

     
円形劇場の管理はローマやアルルに比べてだいぶ緩やかなので、結構上のエリアにも入れるし、地下の部分にも立ち入ることができる。地下の区画は当時猛獣や他の剣闘士などを待機させておくのに使ったりしていたのだが、比較的良い保存状態で色々眺めることができた。

  
エル・ジェムのローマ遺跡は世界遺産にも指定されていることもあり、観光客が多い。デジタル一眼レフをぶら下げていると写真を撮ってくれと頼まれることも少なくない。三分割法による構図などで撮ってやると結構喜ばれるので、覚えておくといいと思う。

  
円形劇場を出た後、今度は近所にあるモザイク美術館に向かう。ローマ時代の都市遺構に隣接する形で建てられたこの美術館は、当時のローマ植民市の人々の生活がどのようなものであったのか、非常によく示している。残念ながら写真はNGなので撮れなかったが、アフリカ属州で収穫された特産品のイチジクを始め、様々な山海の珍味をあしらったモザイクは見事というほかない。また、都市の遺構は歩道がきちんと整備されているのが分かり、当時のローマの市民は非常に水準の高い生活を送っていたことがよく分かる。勿論これは奴隷制度に支えられていたわけだが、それでも半日働いてあとは公衆浴場でのんびり、というローマ市民の生活は大変にうらやましい。

11時半頃エル・ジェムを離れ、一路トズールへと向かう。

道中、様々な話をする。チュニジアで展開している日系企業の話や、古代ローマ人の生活と現代の我々のどちらの方が生活水準が高いのかとか、A氏が以前やっていた別の観光代理店での運転手の仕事の折の話、等。

話によると、A氏は現在42歳。3年前にようやく結婚し、2歳の子供がいるという。イスラム世界では結婚に必要なものは基本的に男性側が全て揃えなければならないため、失業率が高く、仕事にありついても所得水準が決して高いとは言えないこの国ではどうしても婚姻が遅くなる。それでもA氏は自分はまだマシな方だ、町に行けば自分と同じくらいの歳の失業者はいくらでもいるという。

また、話がイスラエルの問題に及ぶと、A氏は俄然エキサイトした。一神教3宗教に関するある程度の知識がない場合は、ムスリム相手にこの手の話題を持ち出すと大変にまずいことになるので余り勧められないのだが、私自身は現在のイスラエル国の政治的ポジションは宗教的でもなんでもない(cf. ヤコブ・M・ラヴキン『トーラーの名において』/シュロモ・サンド『ユダヤ人の起源』等)し、シオニズムはただの自民族中心主義でしかないと考えているため、おかげでA氏とは大変話が盛り上がった。その後彼があちこちで知人に私を紹介するときには、必ずその話が引き合いに出された。現在の中近東やマグレブ諸国の状況を考えると、これからどうなるかということについては色々考え込んでしまう要素も、だから少なくはない。

その他、彼が案内せざるをえなかったフランスからの観光客一行の話も俎上にのぼった。彼が案内したそのグループはいわゆる買春ツアーの連中で、中には男娼を買いあさる女性も少なからずいたそうだ。問わず語りで彼が私に説明するには、どうもそのあたりの不愉快な経験が彼をして日系旅行代理店への転職を決意させた要因の一つらしい。勿論給料がある程度アップしたというのもあるみたいだが。

その後全く知らない町で昼食をとり(クスクスとサラダでたったの5ディナール!)、移動を続けた。と、A氏は別の町というか集落でいきなり車を止め、「ちょっと待ってろ」とどこかへ出かけていく。トイレかね、と思っていたら蜜柑を2キロほど携えて戻ってきた。曰く、「お前が咳き込んで苦しそうなので買ってきた。とりあえずガンガン食え」とのこと。有り難い。マジ泣けた。

言葉に甘えてムシャムシャ食べていたが、木で熟した蜜柑のためか、大変に甘い。喉の傷についても沈静してくれたようで、だいぶ喉の痛みが楽になったような気がする。

     
メトラウイで燐鉱山の精錬施設の資料館を見学し、午後4時過ぎ、トズールに着く。滞在したホテルはYADIS OASIS TOZEUR(三つ星)市街中心部にほど近く、非常に便利。ただ、

大変にボロい。

部屋には風呂が付いている点は有り難いのだが、風呂栓がないとか、洗面台はお湯が出ない(風呂は出る)など、壊れたところの修理が全然行われている気配がない。風呂栓はビニール袋などを使って代用するという技があるので、それでしのいだ。また、部屋には外線につながる電話がないので、携帯電話を確保するかロビーのWi-FiエリアでSkypeを使うしかない。

     
午後5時少し前、A氏と合流してトズールの散歩に出かける。
旧市街近くの広場にて、A氏の知り合いだというベルベルピザ(具を包み込んで焼き、表面にソースをまぶしたもの)売りのおやじさんに同ピザをもらう。お金を払おうとしたら、

「A氏が紹介してくれたやつだから、今日は金は要らない。今度買うときに金くれ。」
個人的なコネがものをいうのである。実際、後日買ったときには1.5ディナールとられた。

     
旧市街をA氏と共に散歩する。途中、ベルベル人の住居の資料館みたいなところに行く。ミントティーをすすりつつ、星を眺める。
遠くにアザーンが聞こえるものの、大変に静かな時間が流れる。日が沈み、空に星が瞬き出す。空気が大変に乾燥しているためかなり冷え込みが激しいのだが、その分星が大変綺麗に見える。月齢が満月に近いため、一旦月が出てきてしまうと月明かりで他の星が見づらくなるのは仕方ないのだが、とりあえずはチュニジアでの旅の終着地(正確には一回ドゥーズに行くため町を離れるが)にたどり着いた安堵感と共に、椅子にもたれて資料館の人たちと話をする。

しばし散歩した後、夜7時過ぎに市内のレストランにA氏と共に向かう。彼はチュニスを朝5時に出発してきたので、都合14時間以上起きていることになる。さすがに疲労の色が濃いのだが、お礼とチップを兼ねて比較的評判のいいレストランで食事をおごることにしたのだ。で、例によって例の如くクスクスを平らげた。

腹も満腹になったところで、A氏は地元の人が行くオアシスの中のカフェに行かないかという。基本的には自分の夕食の費用は経費で落ちるので、その埋め合わせも含めて奢りたいという。

  
ナツメヤシのジャムなども商っている甘味処兼カフェに向かう。併設のナツメヤシ博物館をわざわざ開けて貰い、それぞれの品種について学ぶ。また、ナツメヤシのジャムを使ったケーキを御馳走になる。これも勿論A氏の知り合いだから、という理由。

大きめのポットにミントティーを入れてもらいつつ、カフェのかなり奥まったところでA氏と色々と話す。知っての通りチュニジアはあちこちに秘密警察がいたので言論の自由はないに等しかったのだが、このカフェは人もまばらだということもあり、A氏は色々と話してくれた。ここ数年チュニジアディナールの価値が大きく下がったせいで輸入品が値上がりするわ、昔は無料だった医療費も一部のみの公費負担になり、A氏の奥さんの出産費用の補助も未だに支払われていないとか、新聞も翼賛的な記事ばかりでウンザリだ、とか。
「ベンアリはもう20年以上大統領だ。年齢を考えるともう引退するべきだと思う」
「でも日本だと毎年首相が替わるぜ。ほとんど無政府状態だ。どっちがいいよ?」
「入れ替わりがあるだけまだ日本の方がマシだ。空気を換えたい」
「もう5年前になるとの首相の名前を思い出せない」
「それは困ったな(笑)」

その他、ブルギバ(初代大統領)の政策に関する話など。A氏はブルギバ流の社会主義的政策を支持しており、貧富の差が拡大している昨今の状況(その中で利益を得ていたのは当然大統領にする寄る者達であった)はそのうち破綻するとも話してくれた。事実その通りになったのだが。

そんなこんなで10時近くまで色々と喋り、解散。彼はいわゆるツアー運転手達が利用する民宿のようなホテルに投宿するという。勿論私が泊まるホテルのようなアメニティは、望むべくもない。テレビもなければ風呂桶もないそうだ。
「悪いな。何か植民地主義的だな。もし満員ならいってくれればYADISに泊まるのも手だ。費用は出すよ」
「そういう考えだけで有り難い。俺が泊まるホテルのグレードは旅行代理店で指定されているから、そういう事できないんだよ」
「そうか。いずれにせよ今日は長丁場有難う。お陰でトズールに無事到着できた。また明日。」

そんなわけで、明日はドゥーズに移動、砂漠ツアーに行く予定。




つづき
一つ前へ
「独り言」一覧へ