2月28日
  JPORTとのやりとり、続き。
平素よりJPORTサービスをご利用頂き誠にありがとうございます。

先日ご案内致しました、アクセスログ解析がご利用できない状態につきまして、経過をご案内させて頂きます。

先日にご案内した時点では、2月末までにはご利用頂ける見込みで復旧作業をさせて頂いておりましたが、予想以上に対応に時間がかかっており、ご利用頂けるまでしばらくお時間頂くこととなり、お客様には、引き続きご迷惑をお掛けしますことを深くお詫び 申し上げます。

尚、経過に関する最新の情報は、WEB上で公開させて頂いております。
http://www.jport.ne.jp/support/logmanu.htmll
(ご案内が表示されない場合は、再読み込みをしてからご覧下さい。)

大変恐縮ですが、アクセスログ解析機能は、ご利用のスーパーエコノミープランでは拡張機能となります。何卒ご理解の程よろしくお願い申しげます。
あー、つまり今までアクセスログが使えていたのはこちらの勘違いがうまく運んでしまったということなのね。確かに詳しく読めばこちらの誤読ですにゃあ。これは失礼失礼。でもさー、ということで返事。
Jport担当者様

> 尚、経過に関する最新の情報は、WEB上で公開させて頂いております。
確認いたしました。

> 大変恐縮ですが、アクセスログ解析機能は、ご利用のスーパーエコノミー
> プランでは拡張機能となります。何卒ご理解の程よろしくお願い申しげます。
これについては、当初私もそれが設定されていることは存じなかったわけですが、これまでなぜ利用できたのかという疑問が残ります。設定上の問題といえばそれまでなのでしょうが、http://www.jport.ne.jp/support/logmanu.htmll において過去に掲出されている情報においては、左カラムのどれが「バーチャルサーバープラン」であるのか明示的ではないという点で、いささか説得性において問題があるように存じます。「バーチャルサーバプランをご利用のお客様全てに」と記載されるのであれば、「スーパーエコノミー」を明示的に排する形での説明の方がより有効かと思われます。

いずれにせよ、今後はこちらでアクセスログを取るように致します。
  というわけで、次回トップページ改訂時から、多分アクセスログを取得することになると思います。Referとかは取得しているドメインの性質上あんま意味のあるものではないんですが、ブラウズして下さっている方のUser-Agentの情報はデザインの互換性を考える上で参考になるので、恐らくそれを中心に取得させていただくことになります。で、可能なようであればリモートホストは取得しないように設定したいと思います。あんまアクセスログを取るというのは好きではないんですが、何卒ご理解をよろしくなのです。



2月27日(2)
  asahi.com、ニースとマルセイユの話
  この中で書き手(というか話し手)は、「ブランドショップが並ぶ新市街には行くのに、花市場や雑貨店が軒を連ねる旧市街には、足を運ぼうとしないんです」とか言っているが、そりゃ当たり前だろう。
  ニースの旧市街は、特に夏のハイシーズンは世界中から観光客が訪れる。それこそ一昔前の原宿・竹下通りのような無茶苦茶な混雑ぶりになる。ひどい時にはたかだかカフェで休むためにも並ばなければならなかったりする。
  そんな調子だから、当然のごとく非常に治安が悪い。土産物屋だとクズみたいな品をべらぼうな値段で売りつける店もあるという話だし、スリなんかそれこそ掃いて捨てるほどいる。そんなところにお上りさん状態の日本人観光客が集団でドヤドヤと行ったら、どうなる? ツアコンがどんなに気を配っても絶対に被害が出る。被害が出たら警察に行って書類をつくってアレヤコレヤを済まさなければならないし、メンタルダメージもひどいだろうから当然後の日程にも悪影響が出る。わざわざ古い街並みを見るためにニースで危険を冒す必要はないのだ。ちなみに話し手がおみやげとして推奨している「テーブルクロスやポプリ、ティッシュケース」なんかは旧市街よりもそれこそギャルリー・ラファイエットとかのおみやげコーナーで買った方がだまされる可能性が低い。観光客相手の土産物屋がクズみたいのしか売っていないというのは世界各地どこでも同じなのである。
エズ村からの眺め   じゃあ古い街並みを見るにはどこ行けばいいんだよ、というと、初めて南仏に行かれる方に私が推奨するのはエズ村(左の写真)である。エズ村はニースの中長距離バスターミナルからの直行バスで30分ほど。途中、モワヤン・コルニッシュからの絶景も楽しめる。エズ村自体は完全に観光地化されており村の中にはアレゲな土産物屋が林立しているが、少なくともスリとかは逃げても逃げ切れる手段があまりないため、ゴロゴロいるという話は聞かない。実際夏に行くと日本人の団体さんに結構出くわす。ちなみに、大昔沢口靖子がリッツのCMに出ていたときに使われたホテル「Chèvre d'or」はここにある。「紅の豚」チックな景色がご希望ならモナコのフォンヴェイユ&モネゲッティ地区とかマントンの旧市街とか色々あるのでそちらの方が安全だし。
  そんなわけで、フランスの治安悪化はかなり深刻なレベルに達していて、今年の大統領選挙でも治安問題が争点の一つになるそうな。経済問題で泥沼状態の日本に比べりゃずいぶんと気楽な話であることよとも思わずにはいられないが、フランス語の知識が皆無の状態で一人旅での観光をするのであれば、護身スプレーくらいは持っていた方が無難かもね。
  なお、ニースではアクロポリスという会議場のすぐそばに中華食料品店があって、海苔やらカップラーメンやら醤油やらを売っているので(ただし店主は生長の家の信者らしい)、旅行中に和食が恋しくなったらそこへ行け。



2月27日
  論文を書いていると、資料を調べに行くときと買い物以外は完全に引き籠もりの状態になる。必然運動不足で太るし体力は落ちるしストレスは溜まるし、ロクな事がないので、今日は近所の市営プール(パリ市には27の市営プールがあって、3ヶ月間すべてのプールで有効な定期がおよそ3500円で買える。1回券は300円くらい)に行って来た。なお、市営プールは近所の小中学校のプールも兼ねており、一般の人が使えるのは平日の場合色々制限があるので滞在型の観光で市営プールを利用したい人は要注意。あんまいないと思うけど。
  今日は久しぶりということで1kmしか泳がなかったのだが、隣で泳いでいた人がアルジェリア系のイスラム教徒(もちろん男)だった。ゴーグルを持ってきていないのでしきりに目が痛いとこぼしていた。プール付属の自販機でゴーグルは売られているから買った方がいいよと勧めておいた。
  そのとき思ったのは、イスラム教徒のアラブ人たちが使う呼称の独特さだ。フランス語は二人称でも普通は見ず知らずの人に対してはvousを敬称的に用いるのが一般的なのだが、イスラム教徒の場合一旦言葉を交わしたら次からは完全に親称としてのtuを用いる。これはレストランだろうが食料品店(私がよく肉を買うハラル肉屋では挨拶時に「友よ」と呼びかける)だろうがどこでもほぼ変わらない。慇懃無礼を絵に描いたような対応が一般的なフランス、就中パリのような大都市では例外といってもいいかもしれない。
  しかし、それでいて彼らムスリムの呼びかけ方は全く厚かましさを感じないのはなぜだろう。むしろ友好的な感じさえする。こういう宥和的な接し方がムスリムとしての世界観と連続しているものであるとしたら、イスラム教が世界最大の一神教であるというのもなるほどなと思ってしまったりするのだ。



2月25日
  サーバー会社、替えようかな……
JPORT担当者様

tunnel-company.comを利用させていただいております、●●と申します。
さて、当サイトの2月のアクセスログが全く見られない状況が続いているようですが、これはいつになれば解決しますか。
これらについてはすべてのやりとりを当サイトにて公開させていただきますので、よろしくお返事下さいますようお願い申し上げます。
で、返事。
●● 様

平素よりJPORTサービスをご利用頂き誠にありがとうございます。

アクセスログ解析について、ウェブサーバのハード機能低下によりご利用出来なくなっており、ご迷惑をおかけしております旨、深くお詫び申し上げます。

現在、サーバーの増強を今月末に実施できるよう計画しており、
実施後2月分のアクセスログ機能がご利用頂けるようになります。
期間中ご迷惑をお掛けしますが、何卒ご理解の程宜しくお願いします。
で、こちらの返事。
JPORT担当者様

アクセスログについての障害発生の件、了解いたしました。
一日も早い復旧を望みます。

また、今後は同種の問題が生じた際には貴社サイトで告知していただければ十分ですので、可能なようであればできる限りそのようにしていただければと存じます。
  このぐらいの障害報告はサイトで告知すればいいのにねえ……



2月24日
  2chの田口ランディ関連のスレを巡回していたら、土曜日の番組で田口はこんな事を言っていたらしい。ビデオ起こしをしてくださっている「前スレ865-878 」氏にはここで深謝を表しておく。プロキシ規制のため、当該スレには書き込めません。
(ヤツの小説『コンセント』に関連して)
男司会者
じゃあ、それはフィクション・・じゃない??え・・・自分の・・・フィクションのエンターテイメントではもう全然ないわけですか?

ランディ
いや、ちがうんですよ。
要するに、哲学とか心理学では答えが出せなかったんです。 でも自分のなかで物語として定着させていったときに、やっと本当の答えのような気がしてきた。
物語ってたぶんそういう力があるんだと思う。
人が何故死ぬかということは、化学とか哲学とか心理学では答が出せないんですよ。
  率直に言って、このくだりにはカチンときた。ヴィトゲンシュタインの引用もまともにできない(註1)ような人間に、こんな事を言う資格はない。死に関する問題は古代ギリシア以来、"Memento mori"の中世神学を経由しつつ、哲学の主要テーマの一つである。例えば『ソクラテスの弁明』『クリトン』などにおける魂の不死を巡る問題はあまりにも有名であるし、ドイツ観念論の破綻する時期においてはショーペンハウアーやキルケゴールなども死に関する考察を残している。また、現代思想に区分される時代においてはハイデガーの『存在と時間』におけるきわめて有名な死の考察、またヴラジミール・ジャンケレヴィッチの『死』および『死を考える』など枚挙にいとまがない。きわめて論理学的な分野を除けば、死に関しての何らかの言説を残していない哲学者はまずいないと言っていいだろう。
  田口ランディは果たしてこれらの議論をすべて消化した上でこのようなタワゴトを言っているのか。哲学書の引用はおろか哲学者の名前もほとんど出てこない彼女の糞コラムを流し読みしていると、非常に疑問である。
  恐らく、「答えが出せない」のは、彼女がこれらの議論を消化できていないからである。じゃあおまえはハイデガーの死についての議論を彼の基礎的存在論との関係でどれだけ理解しているのかと問いつめられると私としてもそりゃ苦しいが、きわめてフロイト派精神分析的な言い方をさせてもらうと、田口は上記のような言い方をすることで自らの無知を哲学、心理学その他学問自体の「無知」として投射しているにすぎないのである。つまり、自分がそれらを援用しても何の手がかりも得られないのは、実は彼女自体がそれらの消化不良を起こしているにすぎない、あるいは全く読む気すら起こらないぐらい知的にボロボロであるからなのだが、プライドだけ無意味に高い彼女はそれを認めたくないが故にその「無知」あるいは「怠惰」を対象に内在する問題だから自分自身はオッケーオッケーという風にして処理してしまうのである。
  無論、ハイデガーの著書はおしなべてメチャクチャに晦渋で(特に原書)、私のような浅学非才の徒には一筋縄では読み込めないし、それはジャンケレヴィッチ他の哲学者・哲学書にしたって同じである。過去の雑記にも書いたが、フッサールの『内的時間意識の現象学』なんか2回読み返しても全然分からないし(W.ジェイムズの『心理学』の方がずっとわかりやすいのはやはり私がバカだからか)、高校生の時にカントの『純粋理性批判』を読んだときにはあまりの難解さに目を回し、岩崎武雄とかの解説書を手元に置いて、繰り返し読みつつ一年掛けてようやく内容の半分程度を消化したものだ。高3の時にサルトルの『存在と無』に原書にてチャレンジしたときには全然分からず完全に自爆の憂き目にあった(某J大学文学部の面接官には入試の時「そりゃ無理すぎだよ」と笑われた)。
  話を元に戻すと、このような面倒を耐えるだけの知的忍耐力が田口ランディには欠けている。彼女の作品的原資となっているのは実質的には、彼女の兄が精神的に破綻し、部屋に数年間籠もりきりの生活をしたあげく心身共に文字通りボロボロになって餓死していったという事実・経験だけである。彼の死を巡る状況については想像するに余りあるが、ここで問題なのはそれは確かに事件としては重大ではあるものの、田口自身の知的努力によって獲得された契機ではないということである。で、その後彼女がそれに触発されて知的研鑽を積んだかと言えば、誤字脱字、間違いだらけの彼女のコラムを見る限り恐らくそんなことはない。相も変わらず想像力を欠いた思いつきとデタラメのオンパレードである。
  しかし、この手のバカ(そこまで言うか)は実際のところ結構いるものである。以前こちらの間違いから、「学者の友人」がデタラメというかデマカセであることが偶然露呈したエロゲーライターARMなんかもその仲間だし、論法のイロハもふまえていないデタラメしか書けないHotwiredの岩谷宏なんかも同類だろう。誤字脱字はほぼ絶対しないし原稿の締切を守ることに関しては絶対の自信があるので、誰か私に連載の仕事を下さいとは言わないが、こういう手合いは尋常ならば(normalement)読み手から血祭りに上げられて自滅していく存在である。にもかかわらず特に田口には熱心な「信者」が多い。しかもそういう奴らにはニューエイジ系にかぶれているのが多い。こういうどうしようもないライターを養っているのはどうしようもない読者なのである。連中は外部の意見に耳を貸すこともなく、ヘーゲルが示したのとは逆向きの下向きの螺旋を辿って奈落の底へと落ちていく。


  というわけで勉強しなきゃ。



(註1)彼女のコラムには一度ヴィトゲンシュタインが言ったという「知恵の梯子」なる言葉が引用されている(しかも「梯子」じゃなくて「梯」と間違いになっているイタタタタタ)が、これは論理実証主義という文脈を完全に無視したあげくしかも正確さを欠いている。なお、出典は『論理哲学論考』。ところで、これもhotwired。同サイトは記事の検索もしにくいし、どこに何があるのかも分かりづらい。今回これを書くのにえらい苦労したよ(笑)



2月23日
  雪印食品が牛肉の偽装とかで潰れちゃうようですが、この手の偽装なんて実際どこのスーパーでも今まで結構頻繁にやってたことじゃないの?
  伊丹十三の『スーパーの女』でもライバルの店が牛肉のラベルの張り替えをやっているシーンが出てきたように記憶しているし、率直に言っちゃうと雪印食品は運が悪かったのだねぇ、と実質無関係なのに職を失うことになる従業員の方々に同情せざるを得ないですよ、ええ。



2月22日(2)
  M$のXBOXの日本での発売に結構人が集まったんだってさ。へー。
  でもさー、ネット上では「×バツ箱」とか言われているようなシロモノになんでそんなに人が集まるのかね。人柱部隊とかM$信者は別として。
  邪推であるとの誹りを恐れずに言えば、恐らく渋谷などに集まったとされている人間の大半はM$のサクラだろう。大体金曜平日の朝も早よからときメモもサクラ大戦も葉鍵系のゲーム群も「君が望む永遠」も「果てしなく青い、この空の下で」も加奈も「家族計画」も出してくれないような人をナメ腐った3DOよりも筐体の大きいゲームマシンを買いに行く人間がゴロゴロいたんじゃ日本も本格的にオシマイだろう。いや、金融レベルで見るとオシマイ以下という話もあるけど。
  まー、デモの行列に隠密あるいはイヌを仕込んで暴徒化させることはどこの国でも公安組織がよくやる扇動の常套手段だが、そんな陳腐なマーケティング&アドバタイズメントをやったところで腐れゲーマーののココロは全然動かないよん。



2月22日
  知識偏重の教育の弊害が言われて久しい。曰く、トリヴィアルな知識ばっか溜め込んだって屁の突っ張りにもなりはしない、むしろ倫理性を欠いたオタクを大量生産するだけでダメダメだという、アレだ。
  だが、料理が材料とその適切な加工によって初めて食えるものになるのと同様、思考は対象、あるいは素材を要請し、それらの適切な運用の下に初めて成立する。つまり素材を持たない思考は思いつきの域を出ず、当然発展的な展開は望めない。
  もちろんこれは経験の理性に対する先行性を措定するという意味では多分に古い意味でのイギリス経験論に近いものだが、ここで判然とするのは知識偏重の問題点はくだらねえ知識をドカドカと押しつけることにあるのではなく、むしろそれの蓄積の上に初めて成立する適切な知識の運用を教えてこなかった、ということである。そして知識の運用それ自体もアリストテレスの言うように帰納および演繹、弁証法あるいは批判的思考などの点においては一種の技術である(あるいは後期ヴィトゲンシュタイン風に言うのであれば一種の言語ゲームか)ことを考えるのであれば、「知識偏重の教育」は行き過ぎているのではなくむしろ不十分すぎるほどに不十分であったのだ。
  だから思考のイロハもないような小学生程度のガキについては、教授内容を減らすなんていうバカな事しないで、むしろ徹底的にドカドカ有無を言わせず知識を徹底して仕込むべきである。で、必要な知識を備えた段階で初めて思考技術は教授されるべきである。事実、ユダヤのカバリストはそうしているのだから。

  でも上記のような雑感がオルセー美術館の入場で(長蛇の列のため)1時間半待たされた怨恨に由来しているという話はナイショだ。



2月17日
  「いつからマスメディアは「日本最高の正義」になったのか 」(石澤靖治,学習院女子大助教授)。
  このようなきわめて表層的かつ無意味なバリゾーゴンを書いておいて、この人は自ら恥じるところがないのかと私は不思議になる。マスメディアが第4の権力としての力を持ち始めたのはロバでも知っているように、昨日今日の話ではない。また、同じく、マスメディアが自らを至上の正義として喧伝しているという通俗的な陳腐な批判もそれこそ何十年も前から聞かされてきたことである。
  だとすれば、マスメディアのこうした性格はマスメディアがマスメディアである以上不可避の性格であり、問題のよりふさわしい解決は受け手である我々自身にゆだねられているということになる。新聞やテレビだって資本主義経済というシステムで動いている以上、ある程度は大衆に媚びなければならないのだ。特に読み手の知的荒廃がアマゾンの森林破壊並の速度で進んでいる日本では、クォリティ・ペーパーすら存在しないのだから当たり前だろう。
  従って、このような問題に関わる視点は、受け手がいかにして適切なメディア・リテラシーを身につけるかという、教育にまつわるきわめてルソー的な古式ゆかしいレベルに帰着する。
  そして、この筆者が書いている現状がかくも重大にのしかかっているのだとすれば、それは今日までメディア・リテラシー教育が失敗してきたということだろう。すなわち、それはメディアに関する認識を曖昧なまま放置してきた高等教育機関の連中の、就中その分野に携わる研究者の知的・社会的怠惰を意味する。これは哲学に携わる私自身の倫理的責任をも指弾するものだが、早い話が、このコラムの筆者(も含めた我々)が怠けていたからこそ、日本のマスメディアはダメダメになってしまったのだ。そこまで批判の刃を向けて初めて批判は批判としての力を持ちうる。自らの視点を特権化するだけの批判は賤しい乞食の戯言の域を出ない。



2月12日
  オペラ座近くにあるプランタンでは実は身分証明書を提示することで10%割引のカードを作ることができる。色々条件があるらしいのだが、とりあえず私の持っているカードも先日有効期限が切れたので更新も兼ねて、ソルド中のプランタン本店・Homme館ののカスタマーサービスカウンターに赴いた。
  ところが、ここのカウンターの連中はカードの更新はできないと言う。なんでも、割引カードは特定の団体旅行客にしか発行しないという。んなバカな(というのも割引カードについて教えてくれたのは他ならぬプランタンの店員だったから)、というわけで本館(モード館)のウェルカムサービスカウンターで同様のことを頼んだらあっさり更新できた。おまけに有効期限は2003年末まで。Homme館の店員のヴァーカ。
  フランスは民主国家というのは表層だけで、実質的にはヴァリヴァリの官僚制国家だというのはブルデューなんぞを引用するまでもなく有名な話だが、デパートやスーパー(特にモノプリは最低最悪)の店員の態度の横柄さは秋葉原の駄目なパーツ屋を凌駕する。まー、日本の店の店員の態度が素晴らしすぎるだけという話もあるが。

  それはさておき、そのプランタンの隣にあるギャルリー・ラファイエットではショーウィンドウにイヴ・サン-ローランのお別れの挨拶がデカデカとディスプレされていた。彼のブランドは一時期ピノー・プランタン・ルドゥートグループが傘下におさめていたことを考えると、ケンカを売っていることが分かり、楽しい。



2月7日
  夏の少女氏も日記で書かれていた(2001.2.23.)ことだが、特にギャルゲーなどのレビューと称するサイトが、点数によってその評価を行っているのには正直言ってうんざりする。そんな感情云々はとりあえず当方の実質的には勝手なので放置するとしても、むしろここで露呈するのは、ギャルゲーをプレイする層が受け手としてはまだまだ未熟であるという紛う事なき事実だろう。
  ……んなことは休日の秋葉原に行けばバカでも分かることなんだけどね。

  公式サイトの情報を読んだ方がよほどマシな「紹介」に引き続いて、萌えだの泣いただのサイコーだのとそんな事をただ書き殴っただけのような似非「レビュー」はそれらの感情に同調しない人間を排除するという意味で全く無価値である。問題あるいは「レビュー」であることの価値はそれに到る構図を認識してそれを語ることにある。それは受け手の対象に対する視点を明らかにすることになるのであって、そこにこそ相互的な意味での「作品」が成立する可能性がようやく萌芽するのである。これが何を意味しているのか皆目分からないような「レビュー」サイトの運営者は当サイトを読む蓋然性は限りなく低いだろうが、もしそういう方がいるのならば、一つのレビューをテキストベースで一本あたり最低3KB以上書いてみてはいかがかしらん、と私はおすすめする。

  というわけで新規「独り言」を目下構想中。でも生来の遅筆ゆえ、公開は春になるか?



2月6日(2)
udの Device Information画面
ネットにつながっている多くのパソコンでガンの研究をするという(SETI at Homeにシステムは似ている)ボランティアプログラムのUnited Devicesに参加している。左にあるのは私の今のマシンのデバイスに関する情報。私のマシンのCPUはTualatinコアのPentiumIII(1.26GHz)なんですが、このグラフを見る限りPentium4よりも性能が高いようなんですけど、これってやっぱビジネスアプリではPentium4はクロック比性能が悪いということなんでしょうか。確かに比較の対象になっているPentium4は現行のNorthwoodコアではなく初期型のWillametteコアではあるんですが。



2月6日
  以前実家で10年ぶりくらいにPC-8801FH(黒モデル)をいじることがあった。スペックは今から見ればほとんどオモチャ以下のものでしかないのだが、キーボードが思いのほかしっかり作ってあることにびっくりした。キータッチから推察するに、どうやらメカニカルスイッチキーボードらしく、キーを叩くとカチッという小気味いい音と共に軽い押し戻し感があり、素晴らしい。スプリングが少々硬いような気もしないでもないが、キーボード自体にも重みがあり(=高速打鍵時に滑らない)、全体としては実にまっとうな仕事のキーボードであった。
  この時代のNECのマシンのキーボードは非常に評判のいいものが多い。特にPC-9801RA/RXに使われていたキーボードは今でも愛好者が多いようである。また、傑作といわれているIBMの5576(除5576-B01)シリーズができたのもこの頃だった。

  最近はパソコンも価格競争が激化してメンブレンキーボードが主流になっている。某F社とか某S社とかのキーボードのヘタレっぷりはあんなのなら音声入力の方がマシだとさえ思わせるものである。確かに、例えば私が使っているFILCOの「剣」は秋葉原価格では7000円位で、普通のヘナヘナキーボードは大体1000〜2000円で買えるように、メカニカルキーボードは最低でもフィルムキーボードの3倍くらいの値段がするのだが、その価値はあると私は断言したい(特に私のようなカナ入力派のユーザーはフルキーボードじゃないと満足な打鍵速度が得られない。HHKを使えないのはそのため)。「剣」はシリンドリカル・スカルプチャータイプのものではないことや打鍵音が結構うるさいことなど結構不満はあったりするが、少なくとも価格分の満足は得られる。でも欲を言うとRealForce 106(\16,800)なんか欲しいなあ。

そんなわけで、メーカー製マシンにおまけで付いてきたヘナヘナキーボードに慣れてしまっている方は、是非とも一度本当のキーボード体験(意味不明)をしてみてはどうでしょうか。



2月4日
  サイトのデザイン、特にトップページのデザインを改訂しようと考えている。現行のそれはスタイルシートの修行も兼ねてかなり場当たり的にこさえたものなので、率直に言ってユーザビリティという観点からはかなり問題がある。これではみさき先輩に叱られてしまうやはりアクセスしてくださる方に優しいサイトづくりを心がけねばならないので、どうしたものかと思案中。

  答えてみました。



1月31日
たとえ歯をくいしばってでも愚痴をこぼすべきではなくて
自分に生きる価値が無いなんて思うのは間違いで
それでもこうして生きてるうちに 自分自身をつかい果たせるのだろうか

気が付けば残されたチャンスは驚くほど少なくて
そのくせ有り余る時間を持て余しては無駄にして
何もしないために何かをして 何も言わないために喋り続けている
何も言わないために喋り続けている
(篠原美也子『秒針のビート』)
近日中に、敬意としてのレビューを書ければと思う。



1月29日
  ブリジット・バルドーは犬食がお嫌いだそうだ。彼女が今度のW杯に関連してFIFAに韓国の犬食をやめさせるよう圧力をかけたという話は有名だが、その根拠たるやムチャクチャなので論外であるし、だったら蛙(英語でFrogといえば俗語でフランス人を指すくらいだ)とか兎とか鹿とかフォアグラ、あるいは牛や豚や羊や鴨や七面鳥や鶏や挙げ句の果てには蝸牛を食うているフランスは問題ないのか、という異論(一応断っておくと、ブリジット・バルドー自身は今は菜食主義者らしい)は余裕で思いつく。が、何でこんな狂気の沙汰としか言いようのないエスノセントリストな暴論を平気でぶちまけるのかということについては、こいつの旦那が極右政党であるフランス国民戦線(Front National)の有力な活動家ベルナール・ドルマール(Bernard d'Ormale, ブリジット・バルドー財団のサイトのトップページで気持ち悪いツラをさらしているのはコイツだ)だということを考えておく必要がある。
  エスノセントリスムというのはこういうことだ、というのが如実に分かって楽しい。



1月28日
  こんな調査が公開されたそうな。あまりにも杜撰な内容で失笑を禁じ得ない。もっと率直に言えばあまりにも某歴史修正主義者どものイデオロギーのにおいがプンプンして吐き気すら覚える。
  なにが問題なのかというと、それはごく大雑把に言って以下の二点に集約される。すなわち、
ということである。
  まともに考えればこんなものを学会とかで発表しようものなら上記のような問題点も含めて集中砲火を浴びて轟沈と相成るのは火を見るよりも明らかなのだが、それをマスコミに流すあたりがなんともはや、というべきか。

  個人的な意見を敢えて述べるならば、日本の教育の問題点は特に初等教育において教員の質がきわめて低いことにもあるように思われる。個人的な話では、小六の時の担任は富津がどこにあるのかも知らないというようなバカであった。そんなヤツにものなど教わりたくないし、教えるべきでもないというのは至極当然の話だ。ちなみにこいつは中学受験に当たっての私の内申書において大層ひどいことを書いて下さったそうだ。教育実習の時にフランス語の(中高の時の)先生が全部ばらしてくれたさ。



1月8日
  明けましておめでとうございます。

  さて、文化庁の長官に河合隼雄が就任するそうな。河合隼雄といえば「売春は魂に悪い」という思考停止寸前の名言で知られる有名なユング派の精神分析学者だが、ユングについては前期のリビドー一元論などに関する功績はさておき、晩年の思想にはシュタイナーの神智学ほどではないにせよかなり着いていけないものを私個人としては感じている(フロイトなんかは『精神分析学入門』とかで彼のことを「オカルト野郎」みたいな言い方をして罵倒しているし)のだけど、どうなんだろうね。
  文化行政をユング派のノリでやられたら文化人類学者の皆さんが暴動でも起こすんじゃないかと心配しないでもないが、本朝における大臣・長官の民間人からの起用は基本的には無意味あるいは特定の連中へのポーズでしかないことは先の堺屋太一のケースでも明らかなので別にいいや。


年末年始に読んだ本。
フッサール『内的時間意識の現象学』:再読だが、全然分からない。自分はつくづく現象学には向いていないと自覚。
Andrew R.Smith「The Limits of Communication: Lyotard and Levinas on Otherness」, M.Huspek & G.P.Radford(ed.)『transgressing discourses』所収:レヴィナスとリオタールの他者観についてまとめただけの、大学生の学年末レポートのような平凡な内容。英語の苦手な私としては読むだけ時間の無駄だった。
Canard Enchaîné 2001年総集編:フランスの風刺週刊新聞Canard Enchaînéの総集編。ざっと目を通しただけだが、シャレが余りにも高度すぎて半分くらいしか分からない。まだまだ修行が足りないようだ。