3月24日
うわぁ、2chに載っちゃったよ。GoogleでもKensaku.orgでもGooでも私のサイトは引っかからない(ある意味寂しい)のに、どうやって見つけたんだろうなあ。そもそも本体であるところのwaseda.ac.jpドメインの方のサーバーはここしばらく落ちていたのに。謎。


3月23日
ブザンソンにいたとき同じ寮に住んでいたティエリーとロランスが結婚したとの知らせが実家に届いたそうだ。パーティーも5月にやるらしい。
おめでとう。ベルギーでパーティーをやるのなら、タリスで北駅からブリュッセルまでは1.5hだから、ささやかながら私もお祝いに駆けつけさせてもらうことにするよ。君たちが住んでいるはずのストラスブールも東駅からTGVで3h弱だったと思うから、まあ問題ないだろう。
本当に、おめでとう。


3月17日
ARM氏からお返事がきたよ。ラリー成立のようなので、こちらで適宜構成。

さて、昨日の続き。同氏は人づての説明を大いに好むようです。
 どーにも体調が悪かったので、今日(もう昨日か)はOFF日にするコトに決め、休みながら下に書いた例の作品リストをまとめていた時、携帯に教授から呼び出しが。取り敢えず言ってみると、そこで下の件の返答をもらう。
「否定する以上、その根拠を具体的に示すのが当然なのに、それを意図的に放棄し、自分勝手なへ理屈で偽証し、保身を図るようなヤツに教えるコトなどひとつもない。だからお前もわざわざ手間掛けて教えずにほっとけ。大体、判らなきゃ自分で調べるのが学生の本分だろうが」
 本当はもっとキツイ言い方をしていたのだが、そんなコトをゆってました。
 言われて、確かに一理あり。疑問に思ったら、自分の知識の範囲だけで結論を導かず、まず自分が知らないと思う範囲を調べるのが道理だと思う。調べて、否定し得る正しい根拠を全て提示して初めて否定できるものである。ましてや都合の悪い事実が在ったからと言ってそれを隠して偽証するなどと、甘えている証拠である。だからあたしも作った作品リストは敢えて公開しない。後日、雑記のほうでパロディの歴史を語ろうかと思っているので、その時まで封印しておくコトにする。

まず教授殿の前半部分。
否定する以上、その根拠を具体的に示すのが当然なのに、それを意図的に放棄し、自分勝手なへ理屈で偽証し、保身を図るようなヤツに教えるコトなどひとつもない。
私は数カ所のケアレスミスはありましたが、根拠は示していますよね。「それを意図的に放棄」しているのは当該スレッドにおけるARM氏の書き込みでしょう。私は音楽プロパーではないのでそんなに隠し仰せるほどの材料は手持ちにはございません。むしろ、否定するにせよなんにせよ、根拠を提示するのは当たり前のことで、そんなのは議論的言説のイロハのイである。それとも、スコアと一緒に練習番号・小節番号とかまで指示せにゃならんのかい?
つぎ。ご本人のお書きになった部分。
調べて、否定し得る正しい根拠を全て提示して初めて否定できるものである。ましてや都合の悪い事実が在ったからと言ってそれを隠して偽証するなどと、甘えている証拠である。
ご立派ご立派。だが、この論法で行けば、何かハッタリをかますときにはバレなきゃ何言ってもいい、ということになる。これは恐らくARM殿の豊富な御交友関係とそこからの伝聞の豊富さとも関連があるのだろうけれども、むしろ何かを論じるときには否定だろうが肯定だろうがなんだろうが、自分としては納得できるだけの証拠や論拠を動員するのは当たり前なのであり、むしろそれらを否定するときには、そのうちの一節にでも矛盾があることを指摘すれば全体としての体系にひびが入るということはカントも『純粋理性批判』の後半で指摘していたことだ。だから、問題があるのはやはりARM氏の件のスレッドでのレスのつけ方であって、作品名を例示しつつこのようなパロディといわれる作品もあったのですよ、と論を進めるべきなのが当たり前のやり方なのだ。にもかかわらず、彼は「お勧めの作品を教えろ」との第三者の書き込みに対しては無視を決め込んでいる。これこそが件の教授殿が「甘え」ではないのか?


3月16日
ARM氏からお返事がきたよ。ラリー成立のようなので、こちらで適宜構成。

でも、自作のパロディも手法として存在しており

例えばショスタコーヴィッチの『ムツェンスク群のマクベス夫人』とかグレツキの室内楽作品群なんかですか。語弊のある書き方であったことは事実ですね。全否定文と部分否定が混在していました。

つーか品性の低いオコサマが、自分に都合のいい知識だけをひけらかして他人を蔑み悦に浸って箱庭の世界でアジっている、なんとも程度の低い脱力モノの図式なんだな(火暴)。だから相手にするのもバカバカしいの。
メタ図式というものがお分かりになっていないようですね。無論、私はあなたがご信頼をお寄せになっている教授様とは違い音楽プロパーではありませんから、隅をつつけばいくらでもボロは出ます。が、私がここで問題としているのは、なぜパロディ云々の議論のスレッドでこのような話を持ち出してくるのか、という問題です。これはどうしてでしょうか。こういった構図そのものを招いている思考法そのものが「自分に都合のいい知識だけをひけらかして他人を蔑み悦に浸って箱庭の世界でアジっている、なんとも程度の低い脱力モノの図式」であることをなぜご理解いただけないのか、理解に苦しみます。

あと、細かいコトだけど、上で指摘している、マントヴァのドゥカーレ宮殿で上演された「オルフェオ」は、正しくは「1607年」が初演である。まぁケアレスミスだろうけど、彼が指摘している話なんざ、言われるまでもなくあたしの知識の範疇です。あれを最初のオペラと言ったら笑われるだけ(つーか既にその筋の方達から……)。
これはこの部分を書くに当たっては以前聴きに行ったときのパンフを参考にしたためです。ご指摘に基づき、辞典等で調べてみたところ、1607年初演が正しいようです。失礼しました。また、彼が最初のオペラ例として挙げている「エウリディーチェ」はいわゆるオペラ作品かという点についてはこれはカメラータ作品ではないのかという異論も多く存在しています(実際、ランス大学で音楽を教えているJ-C.Rという知人はこれはオペラではないと見ている)。私が採用したのは共通項です。

あたりまえじゃん(笑)ていうかいきなり何を言い出すか。「この頃のオペラや楽曲を聴いていると結構どこかで聞いたテンポやリズムが入り乱れていて、元ネタが判る人はそれを推理する楽しみがあったそうです」は当時の愛好家達の楽しみ方を挙げているのであって、どこをどう読めば、著作権が無視されていたので論拠にもならないなどという反論が出来るのかなぁ。日本語初心者ですかチミも(笑)。
時間軸がずれているなあという印象は書いた当初からあって、これは追い追い訂正する予定ではあったのですが、まあもののついでですからここでこの箇所についてはそれを認めておきます。
さて、それはさておき、それでも疑問に残るのはなぜこんな時代の話を彼が引用したかという根本的な疑問です。その動機が私には不純なものに思えて仕方ないのですが。
でもって更にこちらも老婆心ながら付言しておきますと、二桁以上のアラビア数字を記入する際には半角にするのが筆記上での通例です。


3月15日
新規「独り言」の準備中。テーマとしては今までのにも増して重く、長い物になりそうな予感。ただでさえ論文で忙しいのに、なんでこんな暗いものをわざわざ書く必要があるのか。それは恐らく自分が救われたいという我が儘な欲求ゆえなのだろう。
書くこと。文を紡ぐこと。自らの内にぽっかりと空いた虚無の深淵から言葉を引きずり出すこと。そしてそれを他者に連なるための細い細いよすがとしていくこと。
つまりは、希望を、破砕された希望の欠片だけでもこの手にかき集めようとするために。

私の綴る文は、何ら信仰を持つことのできない私にとって、祈りに似たものなのかもしれない。現実感をすっかり失ってしまった私のたましいに、どうか居場所を与えてくださいという。

今更ながら、私の文章を読んでくださる全ての人に、心からのお礼を申し上げたいと思います。


閑話休題。本家サーバー復旧。が、パスワードが変わってしまっているため、更新できず。管理人に連絡を取るので、今しばらくお待ち下さい。


3月14日
下の追記分を書き足したついでにちょっと言っておきますと、私は(特に個人サイトで)Refererを採集されるのを好みません。その理由は単純で、自分がどういう経路でネットを巡回しているのか知られるのが嫌だからです。統計上リンク先との関係を調査するため必要であるのならば、一定件数以上のものだけリストアップするようにスクリプトを組むべきです。自分がネット上でどう言われているのか気になって仕方がなく夜も眠れないというのであれば、私は素直に精神科あるいは神経科に行くことをお薦めします。最近の抗不安剤はよく効きますよ。


3月7日
今日は昼飯を食いつつ大学の友人とハイデガーについて延々2時間近くやりあったので疲れた。ちなみに私は大のアンチハイデガーです。ホルクハイマーみたいに「基礎的存在論詐欺師」とまでは思わないけど、フッサールも言うようにああいうややもすると非合理主義へと滑落しかねないものには少なくからず抵抗を覚えるのですねん。
それにしても疲れた。睡眠不足で頭をフルに回すのは無理があるね。
ここで落としてきたソ連国歌を聴く。カッコイイねえ。大の汎スラヴ主義者であるところのプーチン君がマジ切れするエリツィンをよそに再びロシアの国歌にしたがるのは無理もないな。


3月5日
3/3分の雑記を書いてから、ふと気付いた。
Final FantasyVIII(←表記間違えてた。恥)のOPで使われている『Liberi Fatali』は明らかにカール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』第一曲「O Fortuna」のパクりだよね。オスティナート技法はバリバリ使われているし、歌詞はラテン語だし。クラシックに詳しい知人連中は以前この曲を聴いてゲラゲラ笑い転げていたよ。
ARMちん、これくらい気付けよ。Parodiaというのはこういうスタイルの作曲方法のことを言うのではないのかえ?

追記。奴さんの日記を読んでいたら、なんか知らないけどどなたかにケチを付けられたことに偉くご立腹のご様子です。もしそれが私だというのであれば(トップページでRefererを採集しているのでその可能性は高い。というわけで下のリンクは気持ち悪いので切っておきます)、どうぞ何なりとご意見下さい。まずは「Sorry,This Homepage is japanese only.(って、英語で書くか俺)」なる部分でアルファベットが全角で書かれているという根本的な地点から膝詰め談判することにしましょう。


3月3日
エロゲー&ギャルゲー系のライターでARMという人がいる。(Refererを採集しているようなので、リンクを削除しました) さて、彼が2chでアクアプラス・リーフの「痕」おまけシナリオ盗作疑惑についてリーフを弁護する書き込みを行っているのだが、その根拠の一つである音楽に関する知識がまるでパーなので(読まれる頻度はここは低いけどね)指摘しておくだよもん。
 余録ですがパロディとは本来、文学ではなく作曲の手法のひとつです。15、6世紀の頃流行った、既製の楽曲から固定旋律や構成法などを写し取って作曲する方法のコトを言います。この頃のオペラや楽曲を聴いていると結構どこかで聞いたテンポやリズムが入り乱れていて、元ネタが判る人はそれを推理する楽しみがあったそうです。今は流石に著作権があるから大胆なパロディは出来ないけど、作曲家が自ら作った既製の曲をパロディするコトはよくあったりするのですが。
16世紀にはオペラは存在していない。最初のオペラ作品といわれる(異論あり)モンテヴェルディの『オルフェオ』は1608年初演であり、17世紀。また、この時代著作権なるものは全然存在していない以上、何の論拠にもならない。
また、
今は流石に著作権があるから大胆なパロディは出来ないけど、作曲家が自ら作った既製の曲をパロディするコトはよくあったりするのだが。
これも間違い(一応付言しておくと、自作曲をパロディ化することは実際よくある)。例えばヤナーチェクの『シンフォニエッタ』にはショスタコーヴィッチの交響曲第七番「レニングラード」の一部が引用され、それをブラス群がバカにする部分がある。さらに有名なのはルチアーノ・ベリオの『シンフォニア』で、これにはバッハからベリオにいたるまでの20以上の有名な曲やレヴィ=ストロースの著作からの引用などが派手に行われている。ショスタコーヴィチの交響曲第15番ではロッシーニやヴァーグナーの引用が見られる。彼の晩年の作風、およびこの作品の内容から考えれば、これらが戯画化されているのは明らかだ。(ヴァーグナーの作品は彼の反ユダヤ主義もあり現代音楽ではあっちこっちで引用されて晒し者になっているのだが、留学中につき手許に具体名を挙げられるだけの資料が無いので省略。ゴメン)
つまるところこういう事柄をつまびらかにすると分かるのは、このARMという品性の低いライターが、クラシック、あるいはムジカ・セーリアのインチキな知識を振りかざして、さも自分が教養ある人間であると見せかけることによってゲーオタを恫喝するという実にむさ苦しい図式なんだな。

後日追記。これは引用とパロディの混用であるという意見があるかと思う。事実、いわゆるパロディ音楽の祭典として有名なのは『ホフヌング音楽祭』などで、これらについてはアルバムも発売されており、こういうものこそがパロディ音楽と言われる以上、先に挙げた引用については引用の域を出るものではないと言う異論も成り立つ。だが、私が反対論拠を示したのは、彼が「既製の楽曲から固定旋律や構成法などを写し取って作曲する方法のコトを言います。」という定義で提示している「パロディ」なる概念についてである。パロディ概念の変遷についてはイロニーの変遷なども併せて論じる必要があるためここでは敢えて立ち入らないことにするが、根本的な地平で言えばパロディと盗作とは根本的に相容れないものである。これはパロディが対象から認識上の一定の距離を取ることで成立するのに対し、盗作はまさにその原義においてミメーシス的に対象を模倣する以上、両者はそのレゾンデートルからして矛盾するものである。

さらに後日追記。「レニングラード」のパロディがあるのはバルトークのオケコンでしたね。ごめんなさい。
ま、これでARM氏の「教授」とやらがでっち上げであることがばれたからいいけどさ。


3月1日
こんなメールが来たよ。個人・企業名を特定できるものは消しておくからね。(CV:みさき先輩@雪乃五月)

●●●●研究所の●●と申します。

先ほど、弊社●●からメールをお送りいたしましたが、その後、急遽、パリの●●●●から連絡が入り、●●の現地社員が通訳にあたってくれることになりました。

大変申し訳ございませんが、今回の私の件(7日)はキャンセルということで、お願いいたします。●●の方は、確かに●●●にお願いすることになりますので、こちらは引き続きよろしくお願いいたします。

これに懲りずに、今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。
う〜、ひどいよ。こっちからは何もお願いしていないのに「これに懲りずに」はないよ。通訳を頼んできたのはそっちなのに。浩平君、こんな慇懃無礼な人になったらいやだよ。
浩平君、分かるよね。世の中の人は、浩平君が思っているほどいい人ばかりじゃないんだよ。